「幸せ」を永遠に追い求めるわたしたち
人はみな幸せでありたいと誰しも思うはずです。
それでいて、いざ手に入れた幸せが永久に続くようにと強く願うのが人間。
ですが「幸せ」とはいったい何でしょう?
定義は人によって異なるし、幸せの感度が高いとか低いとか。あの人にとっての幸せは私からするとそうでもなかったり、また逆も然りだったり。
ましてや幸せで居続けることなど、可能なのでしょうか?
「特別何もない日常がいちばんの幸せなのだと気づけたときにはもう手遅れだ」と、どこかで耳にしたことがあります。
今まで当たり前のように持っていた健康な体、帰る家、大切な人。それらを失ったときに初めて気づく感情があるとよく言われます。
これまでの「当たり前」が、どれほど幸せで恵まれていたのかということを。
けれどそうは言っても平穏な日常をどこか退屈だと捉えてしまったり、新たな刺激が欲しくなったりするのが人間というものです。私もそうでした。
いいえ、実は今でもそう感じることがあります。
ある1冊の本で出逢った言葉。
そんなときは、今ある「日常」から飛び出して、「非日常」の世界へと踏み込めば良いのだと。
旅に出るとか、今まで経験のない新しいことに思いきって挑戦してみたりとか。
そこでしか得られない幸せや感動も、たしかにある。
そうしていくと「非日常」に飽きた頃、今度は「日常の幸せ」が恋しくなって、ふと戻りたくなる瞬間がやってくる。
そうやってそのくり返し。
幸せのカタチは日々変わっていくけれど、どんな状況でも幸せを見いだせるか否かは、自分の心がけ次第なのだと教えてくれました。
「非日常」が楽しいのは、「日常」があるから。
「日常」に戻るために、「非日常」を思う存分楽しんだら、次は「非日常」に行くために、「日常」を楽しむ。
どちらも必要であり、どちらかが欠けてはいけません。
なぜなら人間は、果てしなく「ないものねだり」であるから。
きっと、私もあなたも、そうなのではないでしょうか?