醤油の発展は江戸時代
◆江戸の醤油
醤油が本格的に生産されるようになったのは江戸時代です。
関ヶ原の戦い(1603年)以降、江戸の人口は増加し、急発展する際に上方文化の影響を受けました。当初、江戸で使われていた醤油は上方(堺や大坂)から船で運ばれていた「下り醤油」でした。
関東における醤油生産の中心として発展したのが、下総国(現在の千葉県)の野田と銚子でした。元和2年(1616年)にヒゲタ醤油の創業者田中玄蕃が下総国の銚子(現在の千葉県銚子市)で製造を始めてから醤油づくりが徐々に盛んになっていきました。
醤油造りに適した気候、江戸川・利根川を利用した水運、また周辺に原料となる大豆・小麦を産する平野がひらけていたことで、醤油の一大産地となっていきます。
宝永4年(1726年)には、江戸で使われる醤油は下り醤油が約76%を占めていましたが、次第に関東の醤油の質が向上し、文政4年(1821年)の醤油問屋の上申書によると125万樽のうち下り醤油はわずか2万樽にまで減少しています。
下り醤油は『薄口醬油』で、大豆・大麦・塩でつくられていましたが、関東の醸造元は大麦に代え、よりたんぱく質の多い小麦を使用したことで、てんぷらや蒲焼、寿司といった江戸の料理には欠かせない『濃口醤油』が完成し、醤油が食文化に欠かせないものとなっていきます。
元治元年(1864年)幕府より「最上醤油」と認められた7銘柄
銚子のヤマサ、ヒゲタ、ヤマジュウ、ジガミサ
野田のキッコーマン、キハク、ジョウジュウ
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