名ばかりの、「LAがえり」
南部です。
「LAに住んでいた」というと、かっこいいだとかなんだとか言っていただけるのだが、私のLAライフは、自撮りに変な格言添えてインスタに載せちゃって、しまいにはグルテンフリーに目覚めちゃって、のそれではない。
私が長年住んでいたのはサウスセントラルという、LAの人間も近づかないほどの治安最悪地帯で、アジア人の住民など冗談抜きで私一人であった。
私が外を歩けば車がとまり、みな物珍しそうに私を見る。サファリパークの動物状態である。
近所のファストフード店のドライブスルーの窓はブレットプルーフ(銃弾を通さないタウンページほどに分厚いガラス)となっているし、バスに乗ればホームレスのおばちゃんがビール瓶で殴り合いを始めるし、パーティに行けば誰かが喧嘩を始めて発砲しておひらきになるし、とりあえずすごい毎日であった。
そんな中でナメられると単純に命が危ないので、私は誰に絡まれようと、目の前で何が起ころうと、全く動じずに堂々とするフリをしていた。
なぜそんなところに私が住むことになったかというと、当時付き合っていた彼氏の家に転がり込んだからである。
彼の周りにはチカーノ(メキシコ系アメリカ人のこと)ギャングが多かったが彼自身はギャングではなかった。「自分はギャングのインターンをしていた」と語る。中学生の時にその道に進もうとしたが更生したというのだ。秀逸。
というのも、ロサンゼルスに限ったことではないが、ギャングに入ると絶対に抜けることなど許されない。他の町に逃げようものなら探されて殺されるのだ。理由は単純、みな心の奥で抜けたいと思っているからだ。
身につけている色、住んでいる通りの名前、タトゥーのデザイン、そんなもので彼らは長年抗争を続けているのだ。
だからこそ彼らは、仲間と認めた人間のことは裏切らない。恋愛に関しても、ほとんどが長年交際しているたった一人の相手を大切にしている。
他人に心を開くのに時間を要し、ナンパな男性が苦手な私は、彼ら彼女らとノリが似ている部分があり、すぐに打ち解けることができた。
「あなたの態度と私たちのカルチャーへの敬意が気に入った」とされ、chinita(チニータ、チビ中国女という意味である。もしかしたら嫌われていたのかもしれない)というギャングのニックネームももらった。
ギャングは本名がバレると警察からも敵からも身元が割れやすく不便なため、ニックネームを名乗る者がほとんどである。
無論私はギャングだったわけでも、なりたいと思ったことも一度もない。
こちらは友人宅でのパーティの一枚。
後ろにある大破した車は敵のギャングに故意的にぶつけられたもので、犯人を探したが見つからなかったらしい。
地域や個々の判断によって違いはあれど、警察はギャング同士の抗争となるとそこまで尽力してくれないのである。
LAのお話はセンシティブなトピックにはなるけれど、伝えたいこともたくさんあるので、小出しにしていきます。
終焉