24脱サラ独立開業前夜から今までを振り返ってみた。学習塾開業物語
私の仕事というテーマですが、脱サラしたときの事から振り返って書いてみたいと思います。
もともと会社員になりたくなヵった私は、ずっと自分で塾を開くことを夢見ていました。
もう多分中学生のと時から夢見ていたと思います。
大学浪人の時から家庭貴陽市を始めて、大学生でも塾の講師のバイトをしていました。
といっても私が通ってたのは三流大学ですから、自分は路蔵大学出ていないから無理なんて考えないでくださいね。
自分の塾を開くのに学歴は不要です、だって、アルバイト講師で一流大学の貸せ区政雇えますからね。
F欄の人も諦めることはないです。
と話が脱線しましたが、就職活動も、塾を開業するために都合の良いところといか考えていませんでした。
そこで選んだのが、一応教育系ですが、学習塾ではなく、朝が6時からで、16時が終業というちょっと変則的な会社です。
なぜそこが都合が良かったかというと、給与がそこそこ良くて、車で通えたので、17時以降自分の時間が持てるという点でした。
就職直後から開業準備開始
開業後に必要なる書類作りを始めました。
入塾案内、授業の設定、講師の授業報告書、入塾申込書、成績の記録表、などなど思いつく物は全て作りました。
もちろん塾でバイトしていたのもそのためで、必要となりそうな書類や設備、ここは改善した方が良いなと思う事なども、
全て頭の中にありましたので、そういう事を書き出したりしていました。
帰りがけに、不動産やの入り口に貼ってある物件をよく覗いたりしていました。
極力給与は使わないようにして、毎月10万円ぐらいは貯金する様にしていました。
毎日自分を奮い立たせた日々
全てが開塾のためで、そのために就職した会社は結構しんどかったです。
朝が早いのもありますし、毎朝街頭に立ったの生徒勧誘のビラ配りもあったので、とても私に取ってはしんどかったです。
それでも来れも全て塾を開くまでの辛抱だと、自分を勇気づけて、毎日通勤していました。
満員の通勤電車でないのはある意味良かったのですが、毎日同じ事を続ける、そして全くやる気も出ない仕事を続けるのは結構大変でした。
営業所移転がきっかけで予定より早く退職
最低でも1年、おおよそ2年ぐらいは続けるつもりだったのですが、営業所が移転する事になりました。
30分ぐらいで自動車で通えていたのが、車だと2時間近くかかる所だっので、更に朝が早くなり、
帰りが遅くなり自分の時間が取り無くなることになります。
まだ就職したその年だったのですが、80万円ほど貯まっていて、年内で90万円は資金が貯まる予定でした。
まだ全然足りない気もしましたが、家賃42,000という格安の借家を不動産やで見つけていたので、
節約して設備を整えれば、半年ぐらいはなんとかなると予想して、思い切って脱サラすることにしました。
いや~若かくて、怖い物なしだったからできたのでしょうけれど、今から思えば無謀だったかなと思ったりもします。
ただ年を取ってからではそんな事ができないと思っていたので、それとどうしたも会社員をずっとやるのはイヤだったという、
恐ろしく逃げ的な精神があったからでもあると思います。
会社は、もともと喘息持ちで、朝の冷たい空気が喘息を悪化させていたので、それを理由に退職させてもらいました。
もう会社に行かなくてよい、早起きしなくていいという開放感で一杯でしたが、さすがに不安も沢山ありました。
しかし、自分がずっと夢見ていたことが思ったより早く実現できる事にわくわくしていました。
就職していた期間もとてみ短いので、雇用保険ももらえない状態でしたから、直ぐ開業できるように、
退職後直ぐに目星をつけていた借家がでいた不動産屋に行きました。
ぼろいけれど一国一城の主
家賃がべらぼうに安かったので、誰かに借りてしまわれないかとても心配でしたが、かなりぼろく、とても借りる様な事はいなさそうな物件でした。
ホントに昭和初期に建てられて長屋封の2件の家がつながっている平屋でした。
あまりに古くてぼろかったので、最初は躊躇しましたが、利点もありました。
直ぐ50mの先に新しい中学校が2年後にできる事になっていたのです。
広さも、6畳二間に、風呂、トイレは別で、3.5畳程のキッチンがついていました。
キッチンの流し台には、板をおいて、棚のようにして、その上にカラーボックスを横に重ねて本棚にしました。
油で汚れていたコンロの回りは、大理石調のシートを貼り付けて、キッチンに見えない状態にしました。
板の間には、薄ーいカーペットを敷いて、会議用テーブルを一つ置いて、3つパイプ椅子をおいて、事務室にしました。
同時にクルアルバイト講師は最大二人だったので私も入れてギリギリの広さでした。
1月入居と中古事務用品店巡り
1月から入居できたので、予め準備していた物を運び込みました。
卓上のコピー機や、ノートパソコンを大きくしたような、ワープロやレターケースなどです。
今の人はワープロといっても分からないかも知れませんね。
自宅にデスクトップはありましたが、プリンターはなかったのと、ワープロそうともなかったので、ワープロを購入した方がコスパが良かったためです。
もうこのころは楽しくて仕方がありませんでした。
少しずつ自分の教室の準備をしていくのがとても楽しかったのです。
まだ、大型の設備が足りなかったので、中古の事務用品を扱っている店を回りました。
会議用テーブル、ホワイトボード、パイプ椅子、ストーブなどを6万円ぐらいで購入しました。
教室の完成
その数日後、トラックで中古店が購入した物を届けてくれました。
ホワイトボードは、壁というか、引き戸の半分を塞ぐ様な形でぶら下げした。
教室は6畳なのでスタンド型の物はちょっと様くて置けなかったためです。
一つの教室に3つ会議用テーブルを並べて、2つずつ椅子をセットして6人教室を2間作りました。
そう言えばエアコンも無かったのですが、まだ冬だったので、購入しませんでした。
夏まで持つか分からないですしね。
とりあえず教室らしくなって、自己満足に少し浸り、ああーこれが俺の塾なんだあ~ととても幸せな気分に浸りました。
まだ生徒一人さえ集まっていないのに^^;
ホワイトボードの横に立って、うーん、ここから生徒が早く見える様にしたいなと、夢を膨らませました。
生徒募集のチラシ作成
さていよいよ生徒の募集ということになりますが……
私はケチケチ主義だったので、なんとワープロで原稿を作り、無謀にもファミリーコピアという、家庭用のA4コピー機でチラシを作りました。
3000枚が限界で、あまりキレイでもなく、白黒だったのです。
正直いってこれはほとんど失敗だったと思います。
新聞折り込みはどうしたらいいのか調べたところ、タウンページに、印刷会社が、折り込みだけでもやりますと載せていたので、
そこに電話して、新聞折り込みをしてもらいました。
確かA4で1枚1円だったと思います。
わずか3,000円のために、新聞社に持っていってくれたので、かなり親切なおじさんでした。
でも「いや先生、ちょっと少なすぎませんか?この枚数だと希望の地域に撒くことが難しいですよ。三大新聞に入れると1000ずつになりますし」
と言われて、初めて折り込みとチラシというもののやり方を知るのでした^^;
塾でバイトしていても、折り込みチラシのことまでは知ることができなかったので、ほんと何も分からずにやっていましたね。
15万で2万枚のチラシ制作
今はもっとネット印刷で安くできるとと思いますが、2万枚の一色刷、確か青色だったと思いますが、
1万部ずつ、3大新聞に、1週間置きに2回で織り込んでもらいました。
ただ後になって考えると、この折り込みチラシも、どうだったのかなあ……と後でちょっと後悔する事にもなるのですが……
長くなりましたので、続きは後日
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