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私たち夫婦は、どう寄り添うか。

ふくふくぽやんと太ったハトの、おそらくつがいを見た。
ハトといえば、いつも忙しそうに歩き回って食べるものを探しているので
ただ寄り添って動かないその2羽を、めずらしいものを見るように、娘と観察してしまった。

44歳になり、原因のわからない体調不良に悩まされることが増えた。
秋が深まるころ、頭痛にはじまって、ひどい肩こりがさっぱりぬけずに、このままずっとこんな調子が続いたらどうしようと、
整体に鍼灸に病院にと藁にもすがる思いで通い詰めた1ヶ月。
もやの中を出口のめぼしもつないままに、彷徨った日々も、冬が始まるころには、なんとはなしに抜け、日に日に寒さが身に染みる頃には、すっかり以前の調子を取り戻していた。

これが更年期か。春は待ち遠しくも、また季節の変わり目にあの不調が訪れたらと、恐々としていた。
春はまだ遠い。
それなのに、また頭痛。体調の低迷期は不意に訪れた。

体調が悪いと気弱にもなるのか、誰かに聞いて欲しくなる。
夫に、また数ヶ月前のような、体調不良がやってきたから、がんばらないようにします。
というようなことを伝えたら、
自分ももうこれ以上がんばれない。死んでしまう。
と言う返答がきた。

私は、まただ、と思った。
この問答を前にもやって、私はひどく怒りを覚えたことを思い出した。怒りのかたちをした、悲しみだ。

私のがんばらないは、
例えば、娘が洗った上履きの、仕上げ洗いをしないということ。
やろうと思っていた、リビングのソファの位置替えが、しばらくできそうにないということ。
最低限、生活が回るくらいの家事や育児まで
やらないと言ったわけではないのに、
どうしてそんな言われ方をしなけりゃならないんだろう。
そして、結局自分の言葉足らずであることも、私は認識する。

アドラーおじさんの言う、人類はみな共同体であるという言葉を思い浮かべ、
私はもう一度ちゃんと夫に言わなければと思う。
前と同じ、ぼんやりとした甘えた言葉ではなく、
明確な意思表示を。
そろそろ夫とも、定例をとり行う必要があるのではないかと思っている。
それぞれ半休でもとって、コーヒーのおいしいカフェで、モーニングを取りながら、なんてどうだろう。

#アドラーの心理学 #共同体感覚 #いい夫婦の日

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