なんで私はすべて吟味しないと納得できない性分なのだろう

娘の療育施設探しでここ2ヶ月四苦八苦していたが、それもやっと落ち着き、6つ見学に行った中のひとつに決めることができた。
保育園を決めるときも13施設も見学に行き、7施設希望を出して、結局第一希望に通うことができた。当時は仙台に住んでいたので、東京ほど保育園は多くない?にせよである。
何事も納得いくまで足をつかって調べないと気が済まない。それが私の性分であるようだ。難儀な性分である。
療育施設は、結局、娘がいちばん楽しかった、また行きたいと言ったところに決めた。シンプル。娘は順応性が高く、自分の考えもしっかりあって、どの施設でも存分に参加し楽しんでいた。娘の美徳である。まったく、どうして療育をすすめられるのかわからない、というのが親の私のいまだに思うところだ。
保育園のように預けられるモンテッソーリを取り入れた施設。
個別で塾みたいにトレーニングする施設。
運動メインで、グループ座学では就学準備をしてくれる施設。
個性はさまざまで、パーソナルトレーニングとなるた、恐ろしいほどにお金のかかる施設もあった。ほとんどの施設は、受給証があれば未就学児は無料で受けられる。
私は文章を書くことをなりわいとしているので、施設の説明を受けても、言葉が気になって仕方ない。
就学に向けての準備というのが、今回は気になった。そのために療養に行くんじゃない、と思った。
人生をのびのび生きるために、力を出し切るために、柔軟をするためだ。
選んだ療育施設が、個性的な娘にとっての、新しい居場所になることを願っている。

さあて次はお受験する?しない?問題に取り掛からないと。

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