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維摩VS文殊菩薩(4)

文殊菩薩は、さらに維摩に尋ねた。
「維摩さん、病気はお辛いですか?辛抱できますか?」
「治療の効果はあるのでしょうか?」
「師匠の釈迦も、本当に心配して、私を見舞いに寄こされたのです」
「そもそも、病気の原因は何ですか?」
「病気になられて、随分、長いのですか?」

維摩は答えた。
「菩薩の病気に期限などはありません」
「人々が病に苦しむのだから、菩薩も病に苦しむのです」
「つまり人々が病などで苦しむことがなくなれば、菩薩も病で苦しむことがなくなるのです」
「しかし、人々は菩薩のように深い知恵を持つことはありません」
「深い知恵を持たないから、病で苦しむのです」
「そして、その苦しみは消え去ることもなく、菩薩の苦しみも無限に続くことになるのです」

人間の心の中には、深い迷いや執着があり、簡単に消え去るものではない。
そして、それ故に、人間は心の病となり、苦しみ続ける。
維摩が答えた病の原因とは、人々が病に苦しんだから、維摩自身も病に苦しんだということ。

悩める人々に仏の教えを伝え、心の平安による救いをもたらそうとするならば、深山幽谷や寺に籠って自分だけが悟りの境地に安住するなどは論外。
仏の教えの大切なことは、自分だけが救われるだけで満足というような自己中心的な態度ではなく、たとえ自分が救われなくても他人を救おうとする決意を持つことになる。

「お坊様」とおだてられ、たくさんのお布施ばかりを欲しがり、実際に人々が苦しんだとて、全く無関心。
関心を持つのは、名誉と利益のみ、そんな僧侶は現代でも数えきれないほど存在する。
維摩経を学ばない僧侶はいないと思うけれど、この教えを肝に銘じて人々を救おうとする僧侶は、残念ながら、ほぼ、いない。

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