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第35話 十七日、②

(滞在地)室津

(原文)
また、ある人の詠める歌、
「みなそこの 月のうへより 漕ぐふねの 棹にさはるは 桂なるらし」

これを聞きてある人のまた詠める、
「かげ見れば 波の底なる ひさかたの 空漕ぎ渡る われぞさびしき」

かくいふあひだに、夜やうやく明けゆくに、楫取ら
「黒き雲にはかに出できぬ。風も吹きぬべし。御船返してむ」といひて船帰る。
このあひだに雨降りぬ。いとわびし。

(舞夢訳)
また、ある人(紀貫之)は、こんな歌を詠みました。
「水の底に映る月の上を漕ぎ回いでいる、この船の棹にあたるのは、月に生えている桂なのでしょう」

この歌を聞いて、また、ある人が詠まれました。
「波の下に見える月の影の上を漕ぎ回る船影を見ていると、(我々は)果てることの無い大空を漕ぎ渡っているように感じます。
(空の大きさと、人間の小ささを強く感じて)何とも言いようもなく、私は無力さを思い知るのです」

そんな(高尚な)歌を詠みあっておりましたら、夜もようやく明けるようです。
(すると)楫取たちが。
「急に黒い雲が出て来た。おそらく強い風が吹くよ、船は泊に戻すことにする」と言い出して、船は室津の泊に戻りました。
その途中で雨も降りだしたので、実にあじけないことに、なってしまいました。

おそらく次の目的地室戸御崎も近くになっていたと思う。
名月の下で、上機嫌に高尚な歌を詠んでいたら、いきなりの黒雲と雨で、結局、室津に引き返すことになった。
行程は進まず、情趣もぶち壊し。
希代の歌人も、自然の前には、無力である。

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