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土佐日記 第70話 七日、①

(行程)川尻から淀川をさかのぼる。

(原文)
七日、今日は川尻に船入り立ちて漕ぎ上るに、川の水干て悩みわづらふ。
船の上ること、いと難し。
かかる間に船君の病者、もとよりこちごちしき人にて、かうやうの事、更に知らざりけり。
かかれども、淡路の専女(たうめ)の歌に愛でて、都誇りにもやあらん。
からくして、あやしき歌ひねり出せり。
その歌は、
「来(き)と来ては 川上り路の 水を浅み 船も我が身も なづむ今日かな」
これは病をすれば詠めるなるべし。

(舞夢訳)
七日になりました。
今日は、淀川の川尻に、船を入れて漕ぎ上ます。
しかし、とにかく川の水が干上がって浅いので、なかなか思うようには進まず苦労します。
そんなことをしている間に、(長旅で)やつれた顔の船君(紀貫之)は、もともとが無神経な人なので、楫取たちの、こんな苦労などには、まったく無関心のままです。
ただ、そうは言いましても、淡路出身のお方様には感心していたようで、ご自身も(歌の本場である)京の都の人間であるプライドを示したいのでしょうか、懸命に知恵をしぼって、何やら妙な歌をひねり出しました。

はるばる苦労して、ここまで来たのですが、川上りをするにも、とにかく水が浅いので、進みません。船もそうですが、この私も、悩みが続く今日この頃です」

これは、ご自身が長旅で疲れ果てて(病人のようになっているので)、そのお気持ちを読んだのでしょう。

歌に関しては天下第一の理論家で実力者である紀貫之も、よほどの疲れなのか。
歌と言うより、「愚痴」を詠んでしまっている。

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