聖遺物論
聖遺物とは、有名なもので、十字架に架けられたイエスを包んだ「聖骸布」とか、十字架の破片、いわゆる聖人の骨(仏教でいうと、仏舎利)、とにかく偉い人が身に着けたり、触れたもの、骨は当然。
そういう「聖遺物」を崇め奉る風潮がある。
寺社や都市の宝として、大切に保存されることも多い。
ただ、そんなことになっていることを、当の「偉い人」は、わからない。
それに、イエスにしろ、他の聖人にしろ、そんなものに、どれほど執着するのだろうか。
「骨」については、様々意見があるが、それ以外のものは、本来は今後使用価値のない「ガラクタ」の場合もある。
「歴史的価値」を考慮するぐらいしか、使用価値はないはず。
そんな「ガラクタ」を崇め奉るより
イエスであれば「説いた教え」、釈迦も同じだと思う。
それに沿って、生きてもらいたいと思うのではないか。
少々、暴論であるが、大意を理解されたい。