山辺赤人 勝鹿の真間の娘子の墓にたたずむ。(1)
勝鹿の真間娘子の墓を過ぎし時に、山部宿祢赤人の作れる歌一首
古に 在りけむ人の 倭文幡の 帯解きかへて
廬屋立て 妻問ひしけむ 葛飾の 真間の手児名が 奥つ城を
こことは聞けど 真木の葉や 茂りたるらむ 松の根や 遠く久しき
言のみも 名のみもわれは 忘らゆましじ
(巻3-431)
※勝鹿の真間娘子:下総国葛飾郡。真間娘子は、真間の手児名とも言われた機織りなどに従事した女性で、伝説では貧しいながらも非常に美しい女性だったといわれてる。数多くの男性から求婚され、それを苦にして、世をはかなみ入水自殺したと言われている。
※倭文幡の帯:日本古来の簡素な織物。
※廬屋:妻を迎えるための仮屋。
※奥つ城:墓所
かつての男たちが、倭文幡の帯を解き交わして伏せる、その廬屋を立てて結婚したいと思った、葛飾の真間の娘子の墓はここだと聞いたけれど、真木の葉が茂ってしまったためだろうか、松の根のような遠い過去のことになってしまった。
その言い伝えだけでも、その名前だけでも、私には忘れられない。
山部赤人は、伝説の哀しい死を遂げた葛飾の美女の墓を尋ねたけれど、相当の年月が経過していたのだろう、真木の葉が茂り、草むらになってしまったような場所だった。
墓は、こんなに荒れているけれど、私は、その言い伝えも、その名前も、もちろん、あなたの哀しい思いも、忘れないと詠う。
哀しい運命と哀しい歌ではあるけれど、山辺赤人のやさしさ、精一杯の思いやりが込められた美しい歌と思う。