維摩VS文殊菩薩(3)
文殊菩薩は維摩のいきなりの難問をあっさりとかわす。
「維摩さん、あなたのおっしゃる通りと思いますよ」
「もうすでに、ここには来ているので、来るという話にはなりません」
「それと同じで、ここから去ってしまえば、去るという話にはなりません」
「その理由としては、来るものは来る場所がなく、去るものは何処に去るのか、その目的地がないのです」
「その上で、見るべき真理などは、さらに見えないのです」
例えば、海原と波を考えてみる。
波が岸に寄せるのを、岸辺から見れば、来ると言う。
しかし海原から見れば、岸辺に去って行くのである。
去るについても、岸辺から見れば岸から去って行く。
海から見れば、戻って来るのである。
しかも、波は水なのであって、水本来の変化は何もない。
本来の姿は、見る見ない、去る去らないに関係なく存在しているのであって、一時的は変化などは。仮の姿に過ぎないのである。