見出し画像

土佐日記 二十日、③

(滞在地)室津

(原文)
かの国の人、聞き知るまじく思ほえたれども、ことの心を男文字にさまを書き出して、ここのことば伝へたる人にいひ知らせければ、心をや聞き得たりけむ、いとおもひの外になむめでける。
唐土(もろこし)とこの国とは、言異なるものなれど、月の影は同じことなるべければ、人の心も同じことにやあらむ。
さて今そのかみを思ひやりて、ある人の詠める歌、
「都にて 山の端に見し 月なれど 波より出でて 波にこそ入れ」

(舞夢訳)
かの国の人(唐の国の人)は、(当初)(阿部仲麻呂氏が詠んだ)歌の意味が理解できないようでしたが、その歌の意味を男文字(漢字)で書き記して、この国の言葉を知る人(日本語通訳)に説明して聞かせたところ、歌の言わんとするところを理解できたようで、実に意外なことですが、褒めていただけたとのことです。
唐の国と、この国(日本)とでは、言葉の違うものではありますが、月の影そのものは同じであるので、人が(月の影に感じる)心情も同じであるようです。
さて、今、その過去の時代を思い、ある人(紀貫之)が、歌を詠みました。

京の都では、山の端から見えて来る月ではありますが、この地では、波のかなたから姿を見せて、再び、波のかなたに沈んでいきます。

紀貫之氏は、大得意で阿部仲麻呂作として、「青海原~」の歌を詠んでいるが、本当に阿部仲麻呂氏が詠んだかどうかは、「疑わしい」とされている。
現在西安市に、その歌の石碑が立っているが、詠んだことの立証にはならない。
単なる後代の人による「観光用の石碑」でしかない。
※紀貫之の、創作説もあるが、それも確定されていない。
実際は、当時の日本人が、唐に渡り出世し、諸事情で日本に戻れなかった阿部仲麻呂氏に「詠んで欲しかった歌」を誰かが作ったと考えるのが無難かもしれない。

いいなと思ったら応援しよう!