善きサマリア人のたとえ
律法学者が尋ねた。
「では、わたしの隣人とはだれですか」
イエスは答えた。
「ある人がエルサレムからエリコへ下って行く途中、追いはぎに襲われた。追いはぎはその人の服をはぎ取り、殴りつけ、半殺しにしたまま立ち去った」
「ある祭司がたまたまその道を下って来たが、その人を見ると、道の向こう側を通て行った」
「同じように、レビ人もその場所にやって来たが、その人を見ると、道の向こう側を通って行った」
「ところが、旅をしていたあるサマリア人は、そばに来ると、その人を見て憐れに思い、近寄って傷に油とぶどう酒を注ぎ、包帯をして、自分のろばに乗せ、宿屋に連れて行って介抱した」
「そして、翌日になると、デナリオン銀貨2枚を取り出し、宿屋の主人に渡して言った。『この人を介抱してください。費用がもっとかかったら、帰りがけに払います』
「さて、あなたはこの3人の中で、だれが追いはぎに襲われた人の隣人になったと思うか」
律法の専門家は言った。
「その人を助けた人です」
そこで、イエスは言った。「
「行って、あなたも同じようにしなさい」
※ルカ福音書 善きサマリア人のたとえ より
現代の拝金主義に固まった僧侶に聞かせたい話。
檀家に高額な布勢を要求しても、困った人を見かけても、絶対に助けない。
また、社会道徳を説く政治家、学者も同じ。
困った人を救ったとか、そんなニュースを読んだことはない。
残念ながら私たちも、同じようなものかもしれない。