土佐日記 第12話 元日 承平五年(935年)の元日
(滞在地)大湊
(原文)
なほ同じ泊(とまり)なり。
白散をある者「夜の間」とて船屋形(ふなやかた)にさしはさめりければ、風に吹きならさせて海に入れてえ飮まずなりぬ。
芋し、荒布(あらめ)も歯固めもなし。
かうやうの物なき国なり。
求めしもおかず。
押し鮎(おしあゆ)の口をのみぞ吸ふ。
この吸ふ人々の口を、押し鮎もし思ふやうあらむや。
「今日は都のみぞ思ひやらるる」
「小家の門の注連縄のなよしの頭、柊(ひいらぎ)木ら。いかに」とぞ言いひあへる。
※風に吹きならさせて
風に吹き流されて、風に吹き飛ばされて
※荒布(あらめ)
昆布科の海藻。外洋のやや深い海に生える。当時は乾物を食用としたが、現在は肥料、ヨードの原料にもなる。
※歯固め
「歯」は「齢(よはい)」に関係する。丈夫な歯が長寿延命と密接な関係にあることから、正月の三が日には、「歯固め」として鏡餅を供した。
鏡餅には「歯固め」という意味があり、鏡開きは「歯固めの儀(式)」に由来する。
歯固めの儀とは、長寿を祈願して正月に鏡餅などの固いもの(容易に噛み切れないもの)を食べる習わしのこと。
※押し鮎(おしあゆ)
塩漬けにした鮎。元旦の儀式に用いた。土佐での歯固めに用いた。土佐の名産だった。
鮎の内臓は、塩辛状態になっているので、それを吸い出し食べた。
※なよし
「ぼら」の小さなもの。古代は「口女(くちめ)」。「名吉」とも書き、出世魚。
「なよし」「ぼら」「とど」と名前が変わる。
(舞夢訳)
元日も、同じく大湊におります。
白散を、誰かが、「夜の間だけ」と、船屋形に挟んでおいたのですが、風に吹き飛ばされて海に落ちてしまったので、飲むことができなくなりました。
芋や荒布のような歯固めは、ありません。
この土佐では、そもそも、ないのです、
探し求めることもしませんでした。
ただ、押鮎の口だけを吸います。
吸って来る人々の口を、押鮎自身は、どう思っているでしょうか。
「今日は、都のことばかりを思ってしまいます」
「建ち並ぶ小さな家々の門にかざる注連縄のなよしの頭とか、柊とか、今年の京の正月は、どんななのでしょうか」
などなど、互いに言い合っています。
京に帰る途中の僻地での正月。
白散が風に飛ばされ、海に落ちると言うミスを犯し、もはや飲むことはできない。
また、都風のまともな歯固めは、この土佐では望むべくもない。
押鮎の口を吸うといっても、滑稽なだけ。
せめて、京の都での正月風景を話題にして、一行はその心を慰め合っている。