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土佐日記第 第17話 かくてこの間に事おほかり。

(滞在地)大湊

(原文)

かくてこの間に事おほかり。
今日、破子(わりご)持たせて来たる人、その名などぞや、今思ひ出でむ。
この人、歌詠まむと思ふ心ありてなりけり。
とかく言ひ言ひて「波の立つなること」と憂へ言ひて詠める歌、

「行く先に 立つ白浪の 声よりも おくれて泣かむ 我や勝らむ」

とぞ詠める。いと大声なるべし。
持て来たる物よりは、歌はいかがあらむ。
この歌を此彼(これかれ)あはれがれども一人も返しせず。
しつべき人も交れれど、これをのみいたがり、物を飲み食ひて夜更けぬ。
この歌主(うたぬし)、「また罷(まか)らず」と言ひて立ちぬ。

※破子(わりご)
 檜の白木を薄くはいだ板で作られた運搬用食器の一種。
 平安時代から日本で使用されていた。 
 折り箱のような食器で、中に仕切りがあり蓋が付いている。
 蓋は一枚板かかぶせぶた、円形、四角形など様々のものが作られていた。
 一度使うと捨てるもので、弁当や食べ物を運ぶために使われた。

(舞夢訳)
さて、大湊で足止めされている時には、いろんなことがありました。
破子(わりご)に御料理を詰めて、持って来てくれた人がおりました。
そのお名前は、今は思い出せません。
その人は、歌を詠んで(歌の大先生の紀貫之に)感想をいただこうとの下心を持ち、来られたのです。

あれこれと話をしながら
「波が強く立っていますね」と、心配そうな(こっちが不安になるような)ことを言ってから、歌を詠みました。

「あなた方の向かわれる先々に立つ白波の大きな声(音)よりも、この地に取り残されて、声を出して泣いている、この私の泣き声のほうが、おそらく、もっと大きいのです」
と、朗々と大きな声で詠まれたのです。

持って来られた御料理はともかくとして、(まるで。これから海難事故に遭って、私たちが命を落とすような縁起でもない歌なので)、この歌に対して、我々は何をどうしたらいいのでしょうか。
この歌に対して、いろんな人が、あれやこれやと面白がりますが(口先だけですが)、誰一人として、返歌をいたしません。(皆、あまりの無粋な歌に呆れ果てているので)
本来なら返歌をする立場の人(紀貫之)もいるのですが、「はい、ごくろうさま」などとスルーして、飲み食いしながら、そのまま夜が更けてしまいした。
この歌を詠んだ人は、(その場の雰囲気を感じたのか、感じないのかはわかりませんが)「まだ帰りません」と言って席を立ちました。

船旅で、大きな白波は海難事故に通じるし、旅立った人を想って泣くのも。別れでは禁句。
歌主は、禁句二つを一首の歌に詠みこんでしまったのだから、まさに「無神経そのもの」と思われてしまった。
貫之一行も、「これが僻地土佐のレベルか、情けない」とでも思ったのだろう。
ただ、歌主は、歌を詠んで(返歌を来して)夜まで居残ったが、彼が席にいる間は、誰も返歌をしなかった。
表面的には褒めるが、気に入らないことには対応しない。
これも、京の「いけず」である。

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