土佐日記 第57話 二月一日、③
(行程)佐野浦を目指す。
(原文)
聞く人の思へるやう、
「なぞただ言なる」と密(ひそか)にいふべし。
「船君の、辛くひねり出して、よしと思へる事を、怨(え)じもこそし給(た)べ」
とて、つつめきて止みぬ。
にはかにに風波高ければ留まりぬ。
※聞く人の思へるやう
船君(紀貫之)が詠んだ
「ひく船の 綱手の長き 春の日を 四十日(よそか)五十日(いか)まで 我は経へにけり」
(この船を、のんびりと曳く綱のように長く、春の日の我々の船旅も、既に、四十日、五十日と経てしまいました)を聴いた人の感想。
※にはかにに風波高ければ留まりぬ。
佐野浦に入るのを断念し、樫井川の入り江に船を入れたらしい。
●大阪府泉佐野市と和歌山県打田町境の紀泉の山に発し、泉佐野市南部の丘陵地帯を流れ、泉南市北部で大阪湾に注ぐ川。
(舞夢訳)
船君の詠んだ歌を聞いた人たちは、「どうということもない」と、陰口を言っています。
「船君(紀貫之)が懸命に考えられて詠んだ歌なのですから、しかも貫之様ご自身では名歌と思っておられるのですから、そんな余計なことを言いますと、(紀貫之様は)ご気分を害することでしょう」
突然、風と波が強くなったので、近くの入り江に船を入れて留まりました。