土佐日記 第79話 十六日、①
(行程)京に近づく。
(原文)
十六日、今日の夜(よう)さつかた、京へ上るついでに見れば、山崎の古比津(こひつ)の江(ゑ)も、曲がりの大路の形も変わらざりけり。
「売り人の心をぞ知らぬ」とぞいふなる。
かくて京へ行くに、島坂にて人饗(あるじ)したり。
必ずしもあるまじきわざなり。
立ちて行きし時よりは、来る時ぞ人はとかくありける。
これにも返り事す。
※今日の夜(よう)さつかた
夕暮れ時。
※島坂
京都府向日市。阪急電鉄「西向日町」駅西北。
(舞夢訳)
十六日になりました。
今日の夕暮れに、京の都に上る途中に見える、山崎の古比津の江も、曲がりの大路の形も、何も変わっていません。
「商いをする人たちの気持ちは、どうでしょうか、わかりませんね」などと言う声も、耳に入って来ます。
このようにして京に入る道を進むのですが、途中の島坂という所で、とあるお方から、少々接待を受けました。
普通では、全く、考えられないことです。
土佐に出発して、通り過ぎた時の(冷たさ)とは異なり、京の都に戻る時には、(その土産を期待して)こんな風に(なれなれしく)なるのですから。
(結局)このお方にも、(予想外でしたが)、お返しの品を渡します。
「商いをする人たちの気持ちの変化」「普通では考えられない接待」
土佐の前国司の帰京に際して、おそらく任地で富を蓄えたはずなので、「商人は儲けたいので高値で売りつける」「知人は高価で珍奇な土産を期待して、宴席を設ける(普通の時は誘いもしないけれど」ということ。
紀貫之の人物に期待しての変化ではなく、「金銭と財物」を期待しての行為になる。
金目のものに抜け目がない、京都人らしさは、今も昔も変わりがない。