見出し画像

伝道者の書第21話そもそも、人は日の下で労するすべての労苦と、

(原文:第2章22、23)
22 そもそも、人は日の下で労するすべての労苦と、その心づかいによってなんの 得るところがあるか。

23 そのすべての日はただ憂いのみであって、そのわざは苦しく、その心は夜の間 も休まることがない。これもまた空である。

人生は常に労苦の連続、心労の連続で、何ら得るものがない。
人生の全ての期間を通じて、憂いに満ち、仕事に悩み、心労は休むべき夜でも絶え間なく続く。
こういう人間が生涯をかけて行う労苦そのものが、空虚なものだと語る。

ここまで、暗く考えることは、無いというのが、実感。
しかし、古代において奴隷の身分の人などは、その実感のまま、死んでいったのだと思う。
またソロモン王にしても、支配を確立するまでは、内憂外患の連続。
支配を確立したと言っても、その確立はどこまで続くのか、ソロモン王とて予想がつかない。
近隣諸国からの侵略は発生しないか、平和条約を結んだ相手は裏切らないのか。
国内で内乱は決して発生しないのか。
わが命が終わった後も、どうなっていくのだろうか。
結局、一生をかけてきた労苦と知恵、財産の危うさ、空虚さに悩みは尽きない。

労苦そのものが苦しい、その苦しさが憂いを招く。
心労にさいなまれ、夜も眠れない。
それは現代においても、よく聞く話である。

労苦して得たものが、結局は他者の手に渡る。
普通の身分の人であれば、その人が死ねば後継者に、あるいは敵の手にわたることもある。
奴隷の身分の人の労苦は、雇い主にすべて捧げられるのみ。

ある意味で、人間は労苦の奴隷なのかもしれない。
そう考えれば、本当に虚しく思えてくる。

いいなと思ったら応援しよう!