土佐日記 第47話 二十三日~二十五日
(滞在地)日和佐
(原文)
二十三日、日照りて曇りぬ。このわたり、海賊の恐りありといへば、神仏を祈る。
二十四日、昨日のおなじ所なり。
二十五日、楫取らの「北風悪し」と言へば、船出ださず。
「海賊追ひ来」といふ事絶えず聞こゆ。
(舞夢訳)
二十三日は、日は照っていたのですが、曇り空となりました。
この海域は、海賊に襲われる危険があると言われておりますので、神仏に祈りました。
二十四日も、昨日と同じところです。
二十五日は、楫取たちが、「北風の様子がよくない」と言うので、船を出しません。「海賊が追って来ている」との噂を、常に耳にします。
そもそも、海賊、盗賊の記録は、天平二年(730年)から、存在する。
その後、朝廷は、懸命に海上取り締まりを行っていたのだが、なかなか、その鎮静化には至らなかった。
それどころか、紀貫之が土佐赴任時には、事態はますます悪化していた。
(貫之の離任前年に、隣国伊予で国米三千石以上を、海賊が強奪している)
貫之も、海賊追補のために、様々な策を実施したと思われるが、そのために海賊たちの反感を当然買っていた。
そのために、「海賊の噂」を常に気にするし、船頭たちも、不安を隠しきれない。