グザヴィエ・ドラン出演「エレファント・ソング」求めても得られなかった母親の愛
どうしてもホドロフスキー監督に進めなくて観てしまった。
2014年公開カナダ映画。グザヴィエ・ドランが監督した「Mommy」と同年に公開(たかが世界の終わりは2016年)
精神病院に14歳のときから入院している青年マイケル。グザヴィエ・ドランは、「まるで自分自身のようだ」と言い、出演を強く希望したそうだ。
冒頭で有名なプッチーニのオペラ曲「O MIO BABBINO CARO」が流れる。これを歌っているのが、グザヴィエ・ドラン演ずるマイケルの母親という設定。高名なプリマドンナだった母。一晩のアバンチュールで産まれたマイケルに愛情はもてなかった。
それでも母の愛を求めた幼いマイケルは、自分が愛されていないことを思い知り絶望する。ああ・・またか、と思う。監督した映画でも、母親と息子の関係はそう簡単ではない。
★愛されているけれど、理解されていない。
★愛し合っているのに傷つけあう。
★能力はあるが母親には向いていない(と息子に思われている)。
「Mommy」では母親の立場での苦しさも(名優に恵まれて)しっかり描かれていたと思うけれど、よほど母親との関係で傷ついた経験があるのだろう。
また例外なくマイケルも同性愛者である。
立て続けにグザヴィエ・ドラン監督の作品を追いかけてきて、今現在の覚書。(この作品は彼の監督ではないため、かなり雰囲気が違う。しかしマイケルは確かにグザヴィエ・ドランだった!)
★「同じことばを話す人」を求め続けている。
つまり同じ感性をもつ人が身近にいないことの苦しさについて、言い方を変えて何回も作品中で語られている。家族が無理解という場合も。
性的マイノリティーであることが大きかったが、それだけに限らない。誰しも自分と同じ感じ方をする人と出会いたいと願うのが自然だと思う。
★母親の愛を求めて得られず、愛は憎しみと哀しみをもたらす。
この「エレファント・ソング」では、マイケルが14歳のときに母が自殺を図り、まだ息がある母をマイケルが見殺しにし、それ以来入院しているという設定。「I killed my mother. 」という台詞はマイ・マザーと同じ。
才能豊かなグザヴィエ・ドラン監督はまだ若い。もうすぐ29歳、まだ28歳だから、これからどんな作品を創造していくのか楽しみだ。幼少時のトラウマはなかなかしつこいかもしれないが、これからもっと広い世界で活躍し、「同じことばを話す人」にも多く出会い、家族との関係も「和解」へと進んでいけるといいな。
しかし、若くて未熟だと言っても、大変魅力的な作品だったことは事実。ここのところの映像体験は最高だった。
最後にわたしの大好きな「O MIO BABBINO CARO」をあのマリア・カラスで・・。実はもっと好きな演奏があったけれど、歌詞の意味から考えると若い頃のもいいかなと思って(笑)