ハトを見て学んだ17歳の夏
2019年3月25日 投稿
今日の朝LAに住み始めて早2年。
まだ一度も行ったことのないGrand Central Marketへ。
少しぐるぐる回って写真とか動画とかを撮った後、コーヒー豆をじろじろと見つめてから店員さんと話して、その人がオススメするコーヒー豆を購入、ついでにホットラテも注文した。
まだ朝の10時過ぎだったし、平日だったしで、お客さんも少なめ。なので人気の少ないテーブルを見つけ座った。スズメが飛んで小さな食べ物カスを見つけてはつまんでいる。
そんなところを見つめながら、17歳の夏の出来事を思い出した。
”ハトはどこに行ってもハトやな。”
高校2年生の夏、ニューヨークにて。外でお昼を食べている時だった。
17歳の私。高校生の間に一度、自分一人で海外に出よう。
そうやってドミノピザでバイトを始めた高校入学3ヶ月後、一年と少しでその夢を叶えることができた。もちろん色んな人の支えもあってからこそのこと。
海外は2回目だった。1度目は小学校6年生の時に家族でハワイに行ったこと。その時は英語も話せなかったし、ずっと家族と一緒でお店も日本語を話せるところが多かったから、”海外にでた!”という認識は薄かったように感じる。
でも、17歳の夏は違った。
一人で、ドミノで稼いだお金でニューヨーク。
ワクワクだった。怖い、なんて一ミリも思わなかった。
ニューヨークのJFK空港からイエローキャブに乗り、無事に行き先の住所も伝えることができた。タクシーの運転手の人とも少しお喋りなんかできたりして、自然にでも笑みがこみ上げるほどだった。あの日は、ものすごく晴れた日で、気温も最高にちょうど良かったのを覚えている。
5日間、楽しかった。ミュージカルも2本見たし、美術館にも行ったし、友達もできた。
あれはニューヨークについて2日目?3日目?だっただろうか
歩いていたら、ランチの量り売りのお店を見つけた。
サラダにフルーツ、少しラザニアみたいなのも入れたりして、可愛いランチが出来上がった。
外にテーブルや椅子がたくさんあり、たくさんの人たちが食事をしていた。
私もその人たちと同じように椅子に座り、テーブルにランチを置いて、記念に写真。
高校生でニューヨーク、なんでもかんでもが記念写真になった。
ランチを食べながら、行き交う人たちを眺める。
”あ、そうだ。”
ニューヨークに飛び立つ前に、歌の先生がくれた小さいノート。
”なんでもいいからその時の気持ちとか、どこに行ったとか、書き留めなさい。”
私はそれを純粋に5日間やった。いつでもそのノートを開いて、住所をメモしたり、なんなら空港に向かっている時から書き始めていた。
そのノートをおもむろにカバンから取り出して、その時の気持ちなどを書き留めていた。
ふと、何かがノートの横に見えた。
ハト。
”あ、ハトや。”
なぜか分からないけど、そのハトを15秒ほど見つめた。今までハトをそんなに見つめたことがあっただろうか。
何かが腑に落ちたような気持ちになった。そして、顔をノートに移してペンを取った。
”ハトはどこに行ってもハトやな。”
小学校の頃からアメリカの映画や音楽、アメリカに来ることが自分の一つの”憧れ”だった。
テレビや、音楽などを通してしか知らない国。実際に歩いたことのない国。
入ってくる情報のほとんどがキラキラするものばかりだった。
何もかもが違うと思っていた。アメリカには”何か”があると思った。素敵な何かに出会えると思った。
でも
”ハトはどこに行ってもハトやな。”
そう、別にアメリカが特別な国なんかではないのだ。違いはある、でも共通点だってある。
あんなに特別視していた国が、自分の目先の高さで見れるようになったきっかけ。
17歳の夏。
ハトを見て私は学んだ。
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