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童謡『かたつむり』の「ヤリ」を恋矢だと言うのはもうやめて

童謡「かたつむり」の歌詞「ツノだせ ヤリだせ 頭だせ」について、「ヤリ」を「恋矢(れんし)」のことだとする説があるが、それは違うだろうと私は思っている。



6月20日(日)放送のNHK『ダーウィンが来た!』では、童謡「かたつむり」の「ヤリ」が「恋矢」であるとする説がプッシュされていた。

『ダーウィンが来た!』は好きな番組だし、カタツムリを特集してもらえること自体はうれしいし、ほかの内容はとてもおもしろかったのだけれど、個人的にはモヤモヤも残るものだった。

「諸説あります」という字幕こそあったが、これは字幕を読めて意味のわかる年齢の人にしか届かないし、読めたところで演出で何度も繰り返しプッシュされると、他の説は数多の「諸説」であり、これが最有力の説のように聞こえてしまう。

せめて「という考え方もあるんです」くらいの紹介にできないもんだろうか。

(ちなみに「恋矢」とは、カタツムリの持つ独特な器官で、交尾のときに相手の体を繰り返し刺すことに使うため、この名が付けられた。英語では「love dart」とも呼ばれる。「恋矢」を刺すという行為には、雌雄同体であるかたつむりが、繁殖相手の体内で自分の精子を確実に受精させるよう促す機能があると考えられている)


『日本唱歌全集[上]明治篇』(金田一春彦・安西愛子編,1977)には、次のような記述がある。

「かたつむり」の「角」と「槍」とは、それぞれ一対ずつの触角を言い、「槍」は尖端に目玉のついている方のことで、これは殻の中に入っているかたつむりに呼びかけた言葉である。ところで、明治ごろまで、東京での言い方は「まいまいつぶろ」で、わらべ歌でも「まいまいつぶろ、湯屋にけんかがあるから、角だせ槍だせ」と言ったものだった。

つまり、金田一・安西(1977)によれば、「ヤリ」は「尖端に目玉のついている方」のツノ、つまり大触角のことである。このように大触角と小触角を区別していたとするほうが、だいぶ自然な解釈だと思う。



そもそも童謡「かたつむり」は、かつての尋常小学校唱歌として明治44年に発表されたものである。それは、古くから伝わる各地のわらべうたを下敷きにして作られたもの。

つまり、各地のわらべうたに、「ヤリ」という言葉の起源があるのだ。

かたつむりの呼び名を収集、分析して『蝸牛考』を著したのが、民俗学者の柳田国男である。

彼はしばしば、子どもが生きものの呼び名の制作者であったということを例証している。

蒲公英(たんぽぽ)の花を弄(もてあそ)ぶ遊戯は、日本に大よそ四つあれば、その名称もまた四つある。土筆(つくし)を手に取っていう唱え言が五つあれば、その地方名も大略これを五系統に分けられる。ただその章句があまりに単純で、今は忘れてしまった土地が多いために、まだこの両者の関係を明確にすることが出来ないだけである。ところが幸いにして蝸牛の歌は残っている。それと各地方の現在の名称とは、誰が見ても縁が無いとは言えぬのである。(柳田国男『蝸牛考』より)

初版が出版された1930年、まだ全国各地にかたつむりのわらべうたが残っていたというのが、今となってはなんともうらやましい。

わらべうたは、子どもたちが遊びの中で生み出し、子ども文化の中で受け継がれてきた唄である。
つまり、歌詞の作者は子どもたちである。

わらべうたには、かつての子どもたちがかたつむりとふれあって遊んできた子ども文化が現れているのである。

かたつむりにまつわるわらべうたには、大きく2種類あったようだ。

童児が蝸牛に向っていう文句には、実は早くから二通りの別があった。出るという一点は同じであっても、一つはその身を殻から出せというもの、他の一つは即ち槍を出せ角を出せというもので、あの珍しい二つの棒を振りまわす点に興じたものであった。(柳田国男『蝸牛考』より)

体を出すことと、ツノを伸ばすこと。

殻から出てくる様子をじーっと観察して、カラダがぬも~っと出てくるところに力点を置くか、ツノがにょろろ~っと出てくるところに力点を置くかで、2通りの唄があったというのだ。
童謡「かたつむり」は、これら2つの意味のわらべうたを、どちらも取り入れたものなのだろう。

さて、もし「ヤリ」が「恋矢」のことであるならば、かつて恋矢にまつわる子どもの遊びがあったと考えるべきだろう。さらに、その遊びが子ども文化のなかで受け継がれていないと、わらべうたとはならない。

それは絶対に違うとまでは言わないが、やっぱり考えにくい。

交尾のタイミングでカタツムリをじっくり観察するか、交尾を終えて「恋矢」を落とすまで飼育するか、成体を解剖しないと、「恋矢」の存在には気がつかないのだから。

たぶん、もともとは「ヤリが恋矢だったら、おもしろいよね」くらいのニュアンスだったのではないだろうか。それがいつのまにか「説」とまで言われるようになってしまったのでは。(このあたりの経緯を調べたら何かわかりそう)


童謡「かたつむり」は、わらべうたが発祥である。
わらべうたには古くからの子どもと自然との関わりが反映されている。

ヤリが触角であっても、柄眼目のかたつむりならではの生態が反映された、忠実な観察に基づく魅力的な唄であることには違いない。

「恋矢」はそれ自体が実に興味深く、インパクトの強いものなので、わざわざ奇をてらった導入にする必要は無いように思う。

歌詞の起源が子どもの遊びにあるなんて、それだけでわくわくするし、自然と子どもとの関わりを象徴するメッセージもあって、すばらしいと思うのだ。

【引用文献】
金田一春彦・安西愛子編『日本唱歌全集[上]明治篇』, 1977, 講談社文庫.
柳田国男「蝸牛考」, 1980, 岩波文庫.(初版は1930年,刀江書院)

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