入院中の祖母に会う【前編】
写真は祖母が好きなシジュウカラ。
本日、入院中の祖母に会いに行きました。
2週間ぶりかな。それまでは自分自身の療養専念や、県外にいたり海外にいたりで、全然会いに行きませんでした。
正直、かなり危うい状況です。しかし、母や従兄弟のように純粋に悲しむことができない、冷静な(ある意味冷酷な)自分が居ます。
生物学、特に古生物学をある程度深く勉強やちょいとした仕事をしていた分、自然の摂理や命・種のはかなさに慣れていたせいか、全然涙が出ないのです。むしろ、筋肉の付き方や骨格、ホルモンによる髪の生える位置の変化など、冷静に観察してしまう自分・・・。「ま、あなたは孫の立場だからでしょう」と言う人もいるでしょう。ただ、父方の祖父が亡くなったときも涙一粒すらでなかったのです。(唯一近しく感じていた母方の祖父のときはオーストラリアの教会で祈りましたが←ヒトらしさが残っているようでよかった・・・?)
悲しさよりも「これでやっと、母の肩の荷が25%以上減る!」とまで思っていました。電話越しに悲しみ涙する父にかけた言葉は「私は悲しさより父のが心配。悲しむなとは言わないけれど、運転には本当に気をつけて」でした。今振り返るとちょっと残酷。
なんでこんなに恐ろしいほど冷静でいられるのだろう?
延命治療をしてもしなくても苦しそうな高齢者。延命治療をすべきか否か、サインするのは祖母の子、つまり私の母。
本人に限らず誰かが長い間苦しむ姿を見つめていると、寿命が延びることを素直に喜ばない自分がいます。健康寿命を延ばしたくても、遺伝子による影響は少なくて50%。母をジムやジョギングにさそったり、家族の栄養バランスを考えたメニューを出しているけれど、果たしてどこまで良く抗えるのか?