本質を捉える
私は日頃作業療法士として病院で患者様のリハビリテーションを行っています。
そして「いいしょわ倶楽部」という名前で地域の育児期ご夫婦のワークライフバランスを支援する活動を行っています。
「○○とは・・・」と専門職にはそれぞれ定義があるかと思います。公に定められているもの、そして一般のひとが漠然と「○○っていう仕事は○○をする仕事だよね」とイメージしているもの。
作業療法にも定義があります。日本の作業療法士協会で定められているものは
作業療法は、人々の健康と幸福を促進するために、医療、保健、福祉、教育、職業などの領域で行われる、作業に焦点を当てた治療、指導、援助である。作業とは、対象となる人々にとって目的や価値を持つ生活行為を指す。
…どうでしょう?この文章を読んで作業療法がどのようなものかイメージできるでしょうか
おそらく難しいのではないか、と思います。
作業療法はとても複雑で曖昧なものだと思っています。
作業療法についてをイメージするその人によってさまざまな形にイメージされるのです。
「手のリハビリをする人」
「日常生活のリハビリをする人」
「認知症の人にリハビリをする人」
「精神科でリハビリをする人」
「遊びや手工芸を使ってリハビリをする人」
「しらない~理学療法士と何が違うの?」
そして驚くことに私達作業療法士自身も「作業療法ってなに?」と聞かれると一言でズバッと誰もが納得がいく答えを言える人は少ないのです。
作業療法ってなんですか
私達作業療法士は作業療法士になったあとにもしばしばこの問題にぶつかります。作業療法を学べば学ぶほどこの壁は高く大きくそびえたつように思います。
なんとか答えが知りたくて作業療法をまた学ぶのです。
今回そんな私にぴったりの研修会が開催されました。
湘南OT交流会主催の「超交流会2nd」です
湘南OT交流会はコロナ禍以前からオンラインでの研修会に先進的に取り組まれており、今回も関東会場と九州会場の2か所同時開催でオンラインでつなぎながらの研修会でした。
研修会のテーマはずばり「作業療法って何ですか」
私が湘南OT交流会の存在を知ったのは次男の育休中でした。コロナ禍真っ只中で外出も制限された中時間はあったので爆速に発達したオンライン研修会を片っ端から参加している時に出会いました。
かれこれ数年参加しているものの今まではすべてオンライン。今回の対面研修、しかも九州(福岡)でも開催してくれるとの案内にいちもにもなく飛びつきました。
福岡会場は「福岡市東市民センター」という複合型の公共施設の一室でした
はじめての対面研修。しかも県外、に緊張しながら会場へ向かった私を、福岡会場の運営メンバー田代さんが優しく迎え入れてくださいます
会場では大きなスクリーンに関東会場の様子が映し出されます
今回の研修会は2部構成
はじめは作業療法ってなに?というテーマを数人一組のグループで自由に話します。話した内容は大きな紙にみんなで書いていきます
もはやどのような流れでこんな話になったのかスタートは思い出せませんが(笑)
私たちのグループで最初から共通していたのは「作業療法は人が対象」ということでした。
どう広げるか悩んでまずは自分というものを構成しているものを挙げてみよう!というながれに。
みんなの構成要素を眺めながら「それは何」「なんで好きなの?」と質問しあいながら段々と「自分らしく生きるために欠かせないもの」が見えてきました。
そしてそれは一見すると「友達と遊ぶ」ことや「仕事」「手芸」などの形のあるもののようで深掘りしていくと「メリハリのある生活」や「自分で決めて行動すること」など作業の形が変化すれど変わることのないその人の
核となる本質的な価値観 に辿り着いたように思います
私達作業療法士はこの価値観に寄り添いながらどうその人が
「自分らしく生きられるか」を支援する職業なのではないか、と。
実に曖昧なようで、でも私たちが譲れないこだわるべきポイントがぼんやりと曖昧ながらみんなの共通のものになったように感じました。
約1時間半、グループでがっつり話し合ったのち他グループのやりとりのシェア。
驚きました。同じ説明を受けて同じ時間話し合ったのに、どのグループもそれぞれ特色がありそれぞれの時間でよい時間が過ごせたことが想像できる発表でした。全部聞きたかった!
作業療法の曖昧さのなせる業、というか奥深さだと改めて。
日頃のオンラインでのグループワークももちろん楽しいんですが、やはり対面で空気感や温度感をともにすることほど心震えるものはない、と感じた一日でした。
学生も若手もベテランも混ざり合い答えのない問いを真剣に話し合う
とっても有意義な時間でした
終了後は福岡会場メンバーで懇親会。こちらでも日頃の臨床の悩みや熱い思いに触れることができとてもとても楽しかったです