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信頼できる医師の条件とは

こんにちは。乳がん闘病中のまいです。
東京にもんて(戻って)きて、家事やら片付けやらこなしているうちに、まだ不調なんやなぁということを実感中。
ちょっと動くとすぐ疲れる。今までできてた日常の動きがしんどい。

まだ、姿勢を保持するとつらい。背筋を伸ばしていられない。包丁握ったり、モノをつかんだりすると痛い。
動かしてるからなんか、低気圧のせいなんか分からんけど、今日は胸の傷が結構痛むなぁ。
最後の生理が来ててお腹痛いし。(今後、薬の影響で生理は来ません)


さて、徳島のC病院を受診したんは今からたったの2ヶ月前。
まぁ、これも初診日を5月1日にしてもらうん、結構大変やったんですよ(笑)
今日は東京のB病院と徳島のC病院の対応を比べて、「信頼できる医師とは」という話をしたいと思います。


転院--「コネを使え!」

東京の病院から徳島への転院を決意したのは4月15日。
その経緯はこちらをご覧あれ↓
https://note.com/maimai430/n/n7d336a635bb1

ここまでの経緯やいろんな人から話を聞いて知恵をつけて、普通に予約したんじゃ早く対応してもらえん気がした私。

実はここだけの話、アルバイトで某大学病院のお医者さんの個人秘書をしとるんです。
先生が使う書類を清書したりWordに打ち込んだり、講演会の資料(ppt)を作ったりするお仕事。
売れっ子の先生で、なんと診察予約は1年半先まで埋まっとる。
ほんまに四六時中働いてて、病院が休みの土日には地方へ講演会へ出かけたりしとる。本人が病気にならんのが不思議なくらい、忙しい人。
それでも、同じ病院の先生からの紹介とか、そういう時は一生懸命忙しい合間に時間を作って予約を受けてるんを間近に見とりました。

こういう業界って、「コネ」が大事なんじゃ…!

あるもん、全部使っておけ!と思って、C病院を予約する時はコネを使いました(^-^)v

うち、両親共に地元の教育関係に顔がきくんです。
たまたま、母親の知り合いで昔C病院の事務局長をされてた方がおって、その方にいい先生がおらんか聞いてもらいました。
そしたら、快く腕のいい先生(外科部長)を紹介してくれるとのこと。
すぐにその乳腺外科の先生に連絡してくれたようです。

ところが、ちょうどコロナの自粛期間の真っ只中。
感染流行地域の東京から徳島へ移動した場合、「14日間の自宅待機」を経ないと病院を受診できん…!
B病院から紹介状をもらえるんが4月17日。
その日に徳島へ移動したとしても、2週間待ったら最速で5月1日。

東京で手術した方が早いんかもしれん。でも、あの病院で手術するんは絶対嫌。何としても徳島の病院でできるだけ早く診てほしい…!

電話予約は13時からやったんで、13時ぴったりにC病院へ電話をかけました。紹介状をもらってて、診察の予約をとりたいんです、と。
受付のお姉さんが私の住所を聞き取り、東京からなんで、14日間の自宅待機の後、当院に来ていただくことになりますと説明する。

そして、最初にお姉さんが提案した日にちが。。

「それでは、5月12日とかどうでしょうか?」

は!?
ほぼ1か月後やん!
ちょっと待って、そんなに待たなあかんの!?

すみません、もう少し早く受けられませんか?
「それでは、5月8日とかどうですか?」
えっと、それはGWが間にあるからですか?もうちょっと早く受診できませんか?(声焦り気味で)
「では、確認して折り返し電話差し上げますね」


一度、電話を切る。

頼むわぁ~~~。

祈るように折り返しを待ち、10分後くらいに着信。

「5月1日に予約が取れます。何時がいいですか?」
9時でお願いします!

はぁ~~、良かった。
ほんまに冷や冷やしたゎ。
これでGW後とかだったら、どんな心境でGW過ごせばいいん?
いやぁ、コネ使っといて良かったゎ(^-^;

ちなみに、この後紹介してくれた方からもう一度母に折り返し電話があり、
「お嬢さんから予約のお電話来たみたいですよ」と。
「(外科の)先生が、2週間くらいで悪くなるもんじゃないから、安心して自宅待機しててくださいって言よりましたよ」
これを聞いて、どのくらい気持ちが楽になったか。

この時、C病院の先生は私のデータを何も見ずにこうやって言ってくれたん。
経験則から出た言葉かもしれんけど、結構冒険よね、そういうこと言うん。
それでも患者の不安な気持ちを察して、わざわざそう伝言してくれたというだけで、きっと、今度の先生は信頼できるって思えたん。


転院の決断から次の病院の予約を取るまで、なかなかハラハラした1日でした。4月15日。


14日間の自宅待機

4月17日に無事、B病院から紹介状をゲットし、午後には飛行機で徳島へ。
この頃、飛行機は一日に一便しか飛んでなくて。
飛行場も普段の1/4くらいのスペースしか稼働してなくて。
お客さんもまばら。
こんなに閑散とした羽田空港を見るんは初めてでした。

徳島空港には父親に迎えに来てもらい、自家用車で移動。
その後、14日間、ほんまに一歩も家から出んかった(笑)
自宅待機に準じるとかじゃなくて、そもそも出かける気にならんかったってだけ。替わりに買い物に行ってもらえるし、そもそも欲しいもんなんてそんなになかった。

とにかく、体調を崩さんようにだけ気を付けて過ごす14日間。
5月1日に熱出してたら、話にならん…!

この期間は、友達にがんになったことを報告したり、親しい友人とオンライン飲みをやってみたり、結構いろんな人と電話で話した時期でした。
私、普段、ほんまに人と連絡とらんのやなって、実感した(笑)
同じことを何度も繰り返して違う人に話して。
病院を受診したところから転院にいたるまでの経緯を何度も繰り返し。
相手からの反応は一人一人全く違くて。

今振り返ると、この過程の中で、自分の中では手術に向けて少しずつ心づもりができとったんやと思います。

14日間も待たされてるんやし。
次のお医者さんは信頼できそうやし。
納得できたら、できるだけ早く、手術の日にちを決めよう。


「全摘出」というのがどういうことかは、あんまり考えんようにしてました。
直視したら喪失感に押しつぶされそうやったから。


C病院の先生の診立て

5月1日。C病院初診の日。
家を出るまで体調いけそうやと思ったのに、車に乗った途端、なんか調子悪くなってきた。
病院の入り口の検温はセーフやったけど、問診で熱測ったら37.4度。うわ、これギリギリやないの。37.5度以上あると受診できんかったかも。ひや~。

初めてあったH先生は、男性の、いかにも「外科医」って感じ、硬派な印象の先生でした。
でも、とっても丁寧に説明をしてくれた。

開口一番、
「東京の病院ではどこまで説明されましたか?」
乳がんだということ、右胸全摘出の必要があること、この二つしか聞いてません。

ここから、H先生による「乳がんとは?」の解説が始まりました。

まず、どこにできて、どうやって「がん」になるのか。
それがどうやって全身に移動していくのか。
治療方法にはどんなものがあるのか。

再発率や生存率という具体的なデータとともに。
そして、私のがんに当てはまらない場合も含めて、丁寧に解説してくれた。

例えば、外科手術の前に抗がん剤治療をすることで、腫瘍を小さくすることができる。でも、それが効果的ながん細胞と、ほとんど効果がないがん細胞があること。
データを見せてくれて、私の場合はほとんど効果がないがん細胞だと説明してくれました。

つまり、手術をせな始まらんってこと。

この時初めて、術後の薬物療法について説明を受けました。
乳がんの場合、「抗がん剤治療」、「ホルモン療法」、場合によっては「分子標的薬」が使われる。
私のがんの場合は、「ホルモン療法」か「抗がん剤治療」のどちらか。もしくは併用?
これは、手術をして腫瘍を摘出してみんとはっきり判断できんのやって。
その病理検査に2週間以上かかる、と。

そして、薬物療法の期間、これが聞いてびっくりやったん。

抗がん剤治療の場合は3-6か月やけど、ホルモン療法の場合は5-10年。

この、数字がものすごくショックだった。
ホルモン療法は副作用が少ないけど、手術しても10年治療せなあかんの!?
がんって、簡単に完治する病気じゃないんや…
10年って…前向きに治療しようっていう気持ち、ちゃんと保つんやろか…?


そして、この時初めて告げられた事実。
「妊よう性温存」について。
そう、東京の病院では一言も聞いたことのない言葉。
治療によって、今後、妊娠できなくなる可能性が生じる。
詳しくはこちら↓
https://note.com/maimai430/n/n898a56d7474f


まだ、考えなあかんこと、増えるん?
現時点でも結構過酷な現実なのに、まだ突き付けられるもんが残っとったんか。。


とりあえず、「妊よう性温存」については手術の後に考えるんでもいいって。
まずは、手術をどうするか。


手術を決める

この日も、検査フルコースでした。

・CT
・マンモグラフィー
・エコー
・血液検査、検尿
・心電図、呼吸器の検査

この日のエコーは短くて助かった(>_<)
相手は地元の人やし、なんか気易くて技師さんに
思ってたより短くて良かったです
って話しかけたら、「前の病院からのデータがありますからね」って。

9時から診察やったけど、検査全部受けたらもはや12時前後。
検査の結果としては、「右胸全摘出」が必要。
悪性かどうかは分からないけど、右乳房下部にももう一つ腫瘍が見られるということ。
乳房の下半分にできる場合、遺伝性の可能性があるということ。
だから温存しないで全摘出した方がいい、との判断でした。
同時再建はできなくはないけど、あんまりお薦めしないと。
この時、なんでお薦めせぇへんのか、ちゃんと聞いとけば良かった。
まぁ、そんな余裕なんて私にはなかったんやけど。

「どうする?」

と先生に聞かれ。
この日の私は、迷うことなく、


一番早く手術できる日でお願いします。


即答しました。
そして、5月14日、C病院での右胸全摘出の手術が決まったんです。


東京と徳島の病院での対応の違い

説明してくれたことが全然違ったんで、項目ごとに確認したいと思います。


・組織診の結果について

東京のB病院:この結果についてほとんど触れることなし

徳島のC病院:現時点で分かるステージ、グレード(異型度)、どんな薬が効きそうかということまで説明あり
実際に腫瘍を取り除いて病理検査したら変わるかもよ、という前提付きの説明やったし、実際病理検査の結果、私の場合はステージ2→1に変わりました。

このグレード(がん細胞の異型度)は悪性度合いと受け取ることができ、医療用語で「がんの顔つき」と言われます。
確かに、B病院で、「がんの顔つきは悪くないタイプのがんだから…」って説明されたけど、そんなんじゃ分からんわぁ(>_<)
グレードが高くない場合、がん細胞が増えるスピードもそんなに速くないから、手術まで時間がかかったとしてもおそらく転移はせんやろう、って診断なんです。
まぁ、緊急じゃないってことよね。この数値が高ければ緊急度合いが高いんで、早く手術してくれるはず。
ちゃんとお医者さんは数値見て分かっとるんです。


・遺伝子検査について

東京のB病院:やった方が将来の危険性を今取り除ける、というニュアンスで暗に薦められる
ちょうど、この4月から遺伝性乳がん卵巣がん症候群の場合の両胸全摘出手術が保険適用になったんですって。

徳島のC病院:遺伝子検査は部分摘出にするか全摘出にするかを決める時にやってみたらえぇけど、全摘出するんやったら遺伝子検査しなくてもえぇ、ってスタンス

確かに、東京の病院には遺伝子カウンセラーなる人もおったし、最先端の医療、受けられますよって感じ満々やったけど。
結果的に遺伝子検査は受けんで良かったと思ってます。余計な心配が増えるだけ。
ただでさえ考えなあかんこと人より増えるのに、これ以上増えるんとか無理やゎ。


・乳房再建術について

東京のB病院:現在コロナの影響で手術時間を長くできんので、自家再建(自分の身体の他の部位から筋肉を移植する再建術)はできない
同時再建をやることについては異論なしというか、やりたいならどうぞって感じやった。

徳島のC病院:同時再建はできるけどあんまりお薦めせぇへん
再建術は形成外科の担当になるから、やりたいんなら形成外科の外来を別途受けてもらう必要がある、と。

放射線治療との兼ね合いがあるんよね、再建術は。
放射線治療って部分摘出の場合に併用して術後行われるんやけど、全摘出の場合でも胸郭に放射線治療をする場合があるん。
でもどういう場合なら問題なくて、どういう場合に問題があるんかは、未だにちょっとよく分からん…
聞いておけば良かった(^^;

インプラント(人工乳房)を入れる場合は、劣化してくるから定期的に入れ替え手術が必要らしい。最初の手術の後、3か月後にエキスパンダーを抜くため、もう一度手術せなあかんし。
自家組織での再建は一回の手術で終わるけど、移植するところに傷が残るし、身体的負担が大きい。(傷が2箇所になるからね)

私の尊敬する入院マスターは同時再建(乳房摘出と再建を一度の手術で終わらせる)を選択したけど、自家組織か人工乳房かかなり迷ったらしい。術後の身体的負担が違うから。


もし、一つだけ選択を変えられるとするなら、私も同時再建しておけば良かったって、今は思う。
でも、こればっかりはほんまに術前に判断するん、難しい。その気持ちの余裕があるんかってことも含めて。


そういえば、あんまり病院で説明してくれること少ないけど、再建術も保険適用なんよね。
だから、私がもし今回「同時再建」を選択しとったら、ものすごい安い金額で摘出+再建が可能やったん…。
高額療養費制度のおかげでね。国民皆保険制度、万歳。大変救われました。


・術後の薬物療法について

東京のB病院:こちらから質問したにも関わらず、一切説明なし

徳島のC病院:組織診の結果から判断した、現時点での可能性として説明あり
「ホルモン療法」と「抗がん剤治療」について説明してもらえました。
おそらくホルモン療法になるかな、でも手術後の病理検査したやけどね~と言われてました。


・妊よう性温存について

東京のB病院:一切説明なし

徳島のC病院:説明あり、希望するなら産婦人科を紹介する
ここで初めて、「妊よう性温存」について聞きました。あんまり一般的な話やないしね。

確かに、乳がん告知を受けた直後、いきなり右胸全摘出と卵子凍結保存の話なんてされたらものすごい動揺しとったと思う。
でもさ、これ、結構大事な話やろ。
卵子凍結保存って高度な医療技術やから、どこの病院でもできるわけじゃない。私も乳がんの手術受けた病院ではやってもらえんで、別の病院を紹介してもらった。そもそも、転院希望した先にそういう医療機関が一個もなかったらどうなっとったんやろ。。

徳島にはそれができる病院が一つしかなかったから、選択肢なし。
もし、東京で手術してたら。卵子凍結保存についてもいくつか病院の選択肢があったかも。
若年性乳がんの場合、次の治療を始めるまでの間に卵子凍結保存をやらなあかんから、短い期間に病院まで選択するんってなかなかヘビー。
でもでも、腕のいい病院やったら痛くなかったかも、とか考えるとさ。(詳しくはこちら↓)
https://note.com/maimai430/n/nbe94621b9e5d


もし、あの時、、、

今思えば。
最初にB病院でグレードの説明をきちんと受けて、そんなに活発に増えてるがん細胞じゃないから少し考える時間ありますよって言われてたら。
同時再建や、卵子の保存のこともじっくり考える時間があったかもしれん。
手術は1か月以上先やけど、それまでにいろいろ考えてもらわなあかんことあるんですって説明があれば。
5月下旬の手術でも待てたかもしれん。

そんなに活発じゃなかったとしても、悪性腫瘍の「浸潤性」という特徴を考えると、一刻も早く腫瘍を身体から取り除きたいって気持ちは変わらんけど。
ほなって、そこに腫瘍がある限り、自分の知らないうちにがん細胞が身体のどこかへ運ばれて、運ばれた先でゆっくり、少しずつ悪性腫瘍に育っていくかもしれん。
(「がん」についての基礎知識はこちら↓)
https://note.com/maimai430/n/n695b30ba7b31


「たられば」は今話してもしゃーないけど。
それがなかったってことは、やっぱり、信頼できる病院じゃなかったってことよね。


信頼できる医師の条件

こういう経験を踏まえて、私が思う「信頼できる医師の条件」とは。

まず、
・医療用語を患者に分かりやすい言葉にかみ砕いて、ちゃんと相手に伝わるように説明してくれる
ということ。

当たり前のことなんやけどさ。
B病院の先生の説明、検査技師さんたちの説明を見てても、向こうは慣れとってこちらへの説明が不足しとる。
こっちは病院素人で、自分が何を分かってないかも分かっとらん。
自分が何を知るべきなんかも分からん状況で、こちらから質問なんてできるはずはない。
さも当たり前に医療用語使われてもこっちには通じんの!

C病院のH先生は見た目硬派で怖そうなんやけど、説明の時はすごく優しくて、説明の合間に私の目を見てこちらがちゃんと理解しているかをいつも確認してくれよった。
だから、分からん時はすぐその場で質問できた。(大体、理解するんに精いっぱいで質問まで思いつかんかったけど、質問しやすい雰囲気やった)


そして、
・説明する手間を省かない
ということ。

どこまで説明するかって、難しいよな。診察せなあかん患者さん、ようけおるし。
それでもH先生は、病院手作りの資料に基づいて、私に関係あるとこもないとこも一通り説明してくれた。
こっちに疑問が残らんように。
力づくで納得させるんじゃなくて、納得できる環境や条件を提示してくれる。


それに、
・冷静だけど、患者の気持ちに配慮してくれる
ということも大事。
最初の電話予約の時に、「心配せんでもえぇよ」って言うてくれたん、ほんまにありがたかった。
確実じゃないことは、「確約できんよ」と言いながらも、こちらが不安にならんように必要な情報は与えてくれる。
H先生とのやり取りでは、常にこちらが不安にならんように気遣ってもらえてることを実感できた。


最後に、
・知識と経験に基づいて断言してくれる
ということ。

手術前日、術前の説明を母親と一緒に受けました。
今までしてもらった説明に加えて、手術の具体的なやり方、合併症についてなども説明してくれたん。

その中の項目の一つに、

他の治療の選択肢

というものがあった。
そこに来た時、H先生は私の目を見てはっきりと、
「ありません」
と断言した。

この一言で、あぁ、どうしても切除せなあかんのやな、って決心がついた。
手術することに対しての迷いや不安は一切なくなった。

がんはまだまだ分からんことの多い病気で、きっと、断言できんこともようけあるはず。
そんな中でも、自身やその病院の経験則に基づいて判断して断言してもらえると、迷いや不安が少しでも少なくなる。


患者は迷うもんです。
選択する前も、した後も。
これで良かったんかな。
他に方法があったんでないかな。

ほなって、人生の中の大きな決断やもん。


この先生が言うことなら。
信頼して身体を任せよう。

そう思えるかどうかで、精神的な負担がかなり軽減される。


手術を決めてから退院するまで、ほんまに嫌な思い一つすることなく、C病院の全てのスタッフさんを信頼できました。
それは何より、H先生の誠実で真摯な態度が信頼に値するものやったから。
人柄が表れてたんやと思いますよ。



長くなりましたm(_ _)m
お付き合いありがとうございます。

あくまで私の体験に基づいた判断です。
別の考え、いろんな見方があると思いますので、一つの参考にしていただければ幸いです。

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