乳がんになってできなくなったこと -健康な人の特権、献血-
こんばんは。乳がん闘病中のまいです。
薬を飲み忘れないように、毎日生理を管理するアプリで体温と薬飲んだかどうかを記録してます。
生理は来ないんですけどね。薬で女性ホルモン止めてるので。
今日で右胸全摘出の手術から7ヶ月。
ホルモン療法の薬を飲み始めてから半年ですね。
4月に乳がんだと告知を受けて。
私の人生は、一変しました。
健康体→患者
ありがたいことに抗がん剤治療は免れたので、薬の副作用も強くなく、日常生活を送れています。
ようやっと、身体を動かしても痛みが気にならなくなってきたので、そろそろ術前にやってたトレーニング、試してみてもいいかも(私、ダンサーなのです)。
寒いと傷が痛むのですが。
耐えられない痛みじゃありません。
がっつりと右胸から脇にかけて身体を横断している傷を見るのも、薄着の時に右胸がまっ平らなのも、大分慣れてきた。
嫌ですよ、そういう自分の身体を意識するのは。
女ですもの。
自分の身体のラインの変化には敏感。
でも、どうにもならなかったので、仕方ないのです。時間かかっても受け入れるしかない。
献血ができなくなったことも、そう。
どうにもならなかったから、仕方ない。
趣味のひとつ、献血。
18歳の時に高校に来た献血バスで全血の献血をやって以来。
献血、暇を見つけて行きました。
きっかけは、父親。
献血、50回の表彰をもらってるのを見て、
「私は、父さんより献血、行ってやる(*`艸´)」
そんな軽い気持ちで、20代の頃から暇を見つけて献血に通ってました。
元々、
血の気多いだろ、自分(;^_^A
と思ってたのもあるし。
何も失わずにできる、ボランティア、社会貢献、みたいなイメージもあり。
献血に行ってる2、3時間がゆっくり休める時間にもなる、というメリットもある。
回数をこなすためには、
成分献血。
これは、血液中の血小板とか血漿、一部分だけを抜き取る献血の方法で、身体への負担が少ないから一年間で何度でもできる。
全血、といって、200mlや400mlの献血は、女性は一年間に2回しかできない。
私には、密かに、
生きてる間に100回、献血に行く
という目標があったので。
全血では間に合わないため、成分献血に勤しんでました。
年に、3、4回は行ってたかな。
いつも行く、池袋の献血センターは、事務員さんも優しかったし、行って良かったなっていつも思えた。
ボランティアで占い師さんとか来てくれてて、そこである占い師さんと仲良くなって、すごく助けられました。
乳がんだと分かる前に、最後に行った献血。
ちょうど、50回目、記念品をもらって帰ってきました。
私の献血回数は、もう更新できないのです。
悪性腫瘍は、治療が終わっても、今後、二度と献血できません。
先日、年に一度の骨髄バンクの会報が届きました。
献血センターで登録してたんですけど、献血もできないんだから、骨髄バンクの登録も解除しなきゃならないのかな。
乳かんになった当初は、いろんなことを考えるところまで思い至らなかった。
術後の傷の痛みが落ち着き、少しずつ向き合うべき現実が押し寄せてくる。
私は粛々と、日々をやりこなしていく、だけ。
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