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バスケットボール 河村選手を知った日のこと

日本のバスケットボールを世界に知らしめる、その中心人物となった河村勇輝選手。Bリーグの顔となり、昨年のワールドカップ、そして今回のオリンピックで、世界に存在感をもたらした若き司令塔。昨年から夢中になって応援してきたが、改めて河村選手を初めて知った日のことを、振り返ってみようと思う。

自身は遠い昔にバスケットはやっていたけれど、観戦にはまったく興味がなかった。ところが昨年、友人の誘いで「スラムダンク」の映画を見てバスケの面白さを思い出し、その勢いで昨年夏のワールドカップのTV中継を見た。

鮮やかなスピードと、キレのある動き、画面からはみ出るほどのエネルギーで、コートを縦横無尽に走り回る、そんな河村選手にくぎ付けになった。彼のことはその時初めて知ったけれど、ゾーンに入っているかのような、ボールを追いかけるまっすぐなまなざし、それでいて状況を冷静に判断する落ち着き、観客を魅了するプレー。そのどれをとっても、バスケットをするために生まれてきたのかと思うほどだった。気がついたら、全くバスケを観戦したことがなかったのに、ドイツ戦からカーボベルデ戦まで、手に汗を握りながら続けて見ていた。特にフィンランド戦の逆転劇あたりから、感動の涙がにじんでくるのをおさえきれなかった。

河村選手の存在と活躍、エネルギー、そして誠実に努力する姿は、身長の小さい選手が世界に通用することで子供たちに夢を与えるのみならず、多くの人を勇気づけたのではないか。

少なくとも私は、彼の存在に救われた。

昨年のその頃、たった一人の家族である父の病気が見つかり、仕事をしながら、一人で何もかも判断していかなければならない状況に、気力体力ともにボロボロだった。認知症も発症し、指の間から砂が流れるようになくなっていく記憶、人としての言動ができなくなっていく父、もうすぐ迎えるであろう、この世での生命の終わりを受け止めなければならない現実。

対照的に、河村選手は、画面越しに圧倒的な生命力を放っていた。この世のこの瞬間にすべてをかける、そんな姿を見て、私は希望を失わないでいられた。年末に父は亡くなったが、相変わらず私は、河村勇輝という若い選手が精一杯走り回る姿に元気づけられている。そんな人がたくさんいるのではないだろうか。

人を魅了する河村選手の魅力は、バスケットのスキル、性格のよさ、端正なビジュアル、スター性など、さまざまな要素から成り立っていると思うが、いったい何が、河村選手を河村選手たらしめているのだろうか。もっと知りたいと思う。

彼のこれからのNBA挑戦を応援するのと並行して、バスケの専門家でもない、普通の人代表の一人のファンとして、これからも探求していきたい。

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