「多様性」の意義を肌で理解する方法 〜演劇ワークショップへの興味
本屋さんでふと目に止まって読んでみた本がすごく面白かった。
演劇がコミュニケーションの訓練として使えるというのは聞いたことがあったけど、その理由がいまいち腑に落ちていなくて気になっていた。
今回、演劇という形を取ることで、「多様性」を尊重するメリットとその方法を参加者が理解しやすい仕組みになっているということがやっと少しわかった気がする。
前にも平田オリザさんの本を読んだことがあって、たぶん似たことに触れられていた気がするけど、当時はアウトプットを意識していなかったから理解も記憶も薄かった。
今回読んだみたいな、本屋さんのNHKの棚にあるこういう薄めの本は入門に最適だと聞いていたけど、本当に新書よりコンパクトで気軽に読みやすくて、すごくよかった。
演劇を教育に活用できるということ自体を初めて知ったのは、大学の同じ研究室の院生さんで「ドラマ教育」を研究している方の発表を聞いたときだったと思う。
なにか面白いなと思った気がするけど、そのときは「イギリスあたりが発祥の、演劇を使った教育手法」ということしか記憶に残せなかった。
でもその後、平田オリザさんの本を別の興味から読んだときにも、「対話を学ぶ手法」として「演劇ワークショップ」が出てきた。
対話という概念(=異なる価値観を持つ人どうしの合意形成の意味が強いコミュニケーション)には興味があるので、演劇教育ってどういいんだろう、と興味の度合いが少し強くなった。
ここで言われている「演劇教育」というのは、単に決まった台詞で演じるという意味での「演劇」ではなかった。
例えば彼が小学校で行うワークショップでは、いくつかの班に分かれて、ごく短い台本を演じる準備をするように伝える。
台本の中には自分たちでセリフをアレンジしていい部分に印がついていて、実質、各班で設定の一部を好きに変更できるようになっている。
大まかには、「先生が転校生を紹介して、その後子供たちが転校生に話しかけ、転校生はそれに答える」ということだけが決まっていて、先生がその子をなんと紹介するか、子供たちがどう話しかけるか、転校生がそれにどう答えるかは班の個性次第ということになる。
面白いなと思ったのは、「リーダーシップが強かったり優等生気質な子がまとめたりすると、その班の発表はそんなにウケない」とか、そういう「予定調和的なものをうまく作り上げる班より、意外な展開を考えられる班の発表に歓声が上がり、子供もそれに気づく」という内容の記述があったこと。
特に、普段目立たない子や特性のある子も含めた、メンバー全員を生かせる設定をうまく考え出すことが肝だということがわかってくるらしい。
意見が合わなくて紛糾しても、「その問題をそもそも解消できる設定に変えてしまってもいいんだよ」と声をかけると思いがけない面白い設定ができたり、何も意見が出ないときに「普段だったら(実際は)何をすることが多いの、どんな気持ちなの」と聞くと、それを元にしたセリフや設定を考えることができる。
あるひとつ(ひとり)の価値観に寄せてできあがったものよりも、たくさんの意見をうまく取り入れて作り上げたものの方が歓声を集める。
その過程ではどの子も同じように尊重されて、自分(の個性)の存在価値を実感することができるとあって、たしかにそうだろうなと腑に落ちた。
まあたった一度の経験でガラッと変わるものではないにせよ、その機会があるのとないのとではけっこう違いそうな気がする。
全員でひとつの発表を作るのではなく、各班の発表を比較できること、演劇には観客という第三者がいて、そのリアクションに班ごとの違いが出るというのもきっといいんだろう。
単に自分(たち)が満足できるかだけでなく、客観的に見てどうかという視点が入るから、「ウケている班と自分たちの発表は何が違うのか」「どうすればいいか」と考えるきっかけがある。
客観的にも面白い作品にするためには、メンバー全員の個性をいかす必要があり、それを実現するために価値観が異なる物同士でうまく合意形成をしなければいけない。
そういう意味で、演劇という形にコミュニケーション訓練としての適性があるということなんだろうなと理解できた。
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