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自己紹介とご挨拶
こんにちは、ご覧くださりありがとうございます。
このnoteを書いてる人ってどんな人なんだろう、と思ってくださった方への自己紹介です。
noteを使い始めた理由
おおもとは友人への近況報告目的でしたが、ネットを介して、どこかの気の合う人ともなんとなくつながるきっかけにもなったらな、という思いからnoteに文章をあげるようになりました。
私はテンポよく喋るタイプではないので、すっきりしないことがあるときは、人に聞いてもらうのが憚られて、文章を書いて頭を整理することが多いです。
その結果、思っていたことを喋ったり、手紙や日記として書いたものを読んでもらったりすることも少し増えました。(とはいえそもそも、聞いてくれる人が優しいから成立している。ありがたい。)
「友達に自分の近況をなんとなく見守ってもらっている感覚」を持つようになってかなり癒されましたし、ネットを介して人の文章を読むようになってからは「知り合いじゃないけど好きだなと思う人を見守らせてもらえる感覚」にも癒されています。
生い立ち
三人姉妹の少し年の離れた三女として、92年に生まれました。
親戚も女性が多かったので、今は4人の甥っ子たちを新鮮な気持ちで見ています。
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岐阜と大阪の住宅地育ちです。
転勤等で引っ越しが多め、小学校は3つ通っています。
両親はほぼ標準語、家族に大阪弁を聞かれるのが恥ずかしい気がして、初めて友達が家に来た時に標準語に戻して以来、ずっとそのままです。
姉たちは特に気にせず大阪弁バイリンガルになりました。
なぜか大阪に来てから「下品だから」と土曜昼の吉本新喜劇が急に禁止になり、その後だんだんと「父がいる時はNHK以外NG」という空気になっていきました。
水10とエンタの神様だけはなんとか見ていて、それ以外のバラエティは友達の話に出てきたフレーズしか知らない小~中学生でした。
大学に入学するくらいまでは褒められることが多かったので、学校はほぼ楽しくてしょうがない場所で、自己効力感も強めでした。
リーダー役に立候補することもあるし、優等生らしく振舞うことにアイデンティティを感じるようになって、思春期に入っても同級生を叱ったりしていました。今思えば、よくそれでいじめられなかったなと思います。
部活は中高とも吹奏楽部、チューバ(金管の低音楽器)担当、部長でした。
学生時代
親に金銭的な負担をかけないことにもプライドを感じていたので、ほとんどの同級生が塾に通う中「学校と参考書と通信教育だけで地元の国立大を受験する」ことに賭けて、無事合格し、ものすごく浮かれました。
周囲の褒め言葉を120%で受け止め、「優秀さ・有能さ」に全体重をかけて自分を肯定している状態で大学に入ったので、そこで初めて人よりうまくできないことにぶち当たり、身近な人にバカにされるような経験をするようになって、ものすごいショックを受けてしまいました。
大学生活の前半は楽しく過ごしていましたが、自分を情けなく感じる経験が積み重なってどんよりとしたしんどさに包まれることが増え、完全になくなるまで10年くらいその感覚は残りました。
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NPO法人格を持つサークルに入り、2年くらいはその活動自体も、そこで広がった人間関係も楽しめたのですが、役職に就いたころにはメンタルの不安定さがピークに来てしまい、超重要イベントをドタキャンしてものすごい迷惑をかけ、そのまま行かなくなってしまいました。
ますます自分が嫌になって、人に会うのがしんどかったです。
学業の面では、学部での講義(教育学、社会学、心理学系)は面白いものが多かったので好きでしたし、先生たちからわかりやすい言葉にできない何か大事な思想を授けてもらった感覚はありますが、知識をちゃんと積み上げて身に着ける努力をほとんどせず、「大学での学び」として自分でうまく深めることができなかったのが心残りです。
終盤になって、これまで本当に受動的に生きてたんだなと初めて気が付いたくらいでした。
卒論はなんとかそれらしい結論が見えたので、ギリギリ提出して無事卒業できました。出口がなかなか見えなかったので、焦りで本当に息が苦しくなったこともあり、怖かったです。
アルバイトは、暇めなレストランのホール、児童デイサービスでの夏休みの子供たちの相手、やんちゃで不登校気味な女子中学生の話し相手兼家庭教師、外資系キラキラホテルの客室清掃、ターミナル駅のカフェのホールを、少しずつ掛け持ちして経験しました。
声をかけてもらって始めた家庭教師以外、全部母が見つけて私に教えてくれたものです。しかも姉に言われて気づきました。
最近日記を読み返して気づきましたが、本気で休学しようとしていた時期もありました。理由は思い出せません。
就活は、民間就職に「誰かや何かを犠牲にして自分の食い扶持を稼ぐ」イメージを持つようになり、かといって公務員になる覚悟も全くなく(教職課程は3年目で断念)、自信も失っていたので、ろくにやらないというか、できないというか、という感じでした。
今思えば民間就職と言ってもいろいろあると思いますが、当時はひとりで途方に暮れていました。
社会人生活
1社目
大学卒業後は教育関係の会社に入りました。思いがけず東京配属になり、その後計7年暮らしました。
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会社は思っていた以上に営業色が強くて適応できるか不安でしたが、幸い内勤の部署に配属され、通信講座や合宿の運営を担当することになりました。
一人暮らし、社会人(会社員)の文化に慣れるのに精いっぱいなときから、常に期限超過した仕事が山積みだったので、いつも精神的にきつかったです。
何十人もいるアルバイトスタッフを必死にマネジメントしてなんとか少しずつ改善していきましたが、きつい突き上げがあったりすると堪えました。
教育業界だったからか、今思えば社内は面倒見のいい優しい人ばかりで人間関係に悩むことはありませんでしたが、きつい言動をする人が異動してきて、ギリギリだった気持ちが崩れるような感じで、3年目のGW明けに会社に行けなくなりました。
同じ苦労を経験している上司に「自分はもうできない」とどんな顔でどう伝えたらいいのかわからず、自分から退職の意を伝える勇気がどうしても出ずにずるずると迷惑をかける辞め方をしてしまったので、とても後悔しています。
職場だった場所にはその後ずっと近寄れずにいます。
退職の挨拶をきっかけに他部署の先輩だった人と付き合いはじめ、休みながら転職先を探す期間が半年ほどありました。
サークルに続き、また人に迷惑をかける辞め方をしてしまったことでさらに自分が嫌になっていましたが、元先輩や学生時代からの友人の支えもあり、このあたりで自分が「人に相談できない」ことをやっと自覚した気がします。
落ちこむ日もありましたが、本を読んだり、気になるイベントやコミュニティに参加したりするうちに、新しい友達や知り合いができて元気になり、縁があって転職先も決まりました。
2社目
インターネットやビジネスのことを学べたらと思って入社した2社目のベンチャー企業では、担当する予定だった事業が入社後すぐに他社に売却されることになり、しばらくWebマーケティングの基礎を教わりました。
その後いくつか新しい事業が立ち上がることが決まり、企業のM&Aをテーマにした自社メディアの担当を希望したら、通してもらえました。
担当社員が自分一人の期間が長かったので、必要な実務を都度何でもやるような感じでした。動画の編集チェックと更新、SNSアカウント運用、記事ライティング、フリーランスの編集者さん探しと日々の仕事の割り振り、トークイベントの運営、会員コミュニティの立ち上げなど、いろいろ経験させてもらいました。
方法は任せてもらえることが多かったので、自分なりにいいと思うやり方を考えられることが楽しく、いろんなことが目に見えて実現していったのでやりがいもありました。
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人よりは好きな方なんだなとわかってきた
私生活
その間、前職の元先輩と結婚して日々のことを話すようになったり、仕事をうまく回せるようになっていくのに従って、弱っていたメンタルが回復していくのを感じました。
ただ、コロナを機に夫婦ともに完全リモートワークになり、一緒に過ごす時間が増えたこともあってか衝突することが増え、うまく話し合いができず2年後に離婚しました。
辛かったですが、人に相談することができたおかげか精神的に参らずにすみ、これから一人で生きていくかもしれないという覚悟をしたこともあってか、多少強く図太くなれたような気がします。
今から引っ越すならもう関西に帰りたい、この機会に憧れていた京都に一度住んでみようと思い立ち、家具の揃っている女性用シェアハウスに入居しました。
そのシェアハウスは特に設備がよく、オーナーさんとの距離が近い温かいおうちで、入居者さんたちも距離感が程よい素敵な大人ばかりでした。
それぞれのペースで生活しつつ、タイミングが合えばお喋りしたり、たまに一緒に出かけたり、しかもオーナーさんが季節ごとに飾りを変えたりお菓子を差し入れてくださったり、経営されているお店でパーティーをしてくださることもあって、日々「なんていい暮らしなんだ」としみじみ思いました。
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その後、縁あって大阪出身の現夫と出会い、夫の職場の都合で大阪で一緒に暮らすことになりました。
また同じ間違いをしてしまわないか心配で結婚はなかなか前向きに考えられませんでしたが、一緒に暮らしてみて今度こそという気持ちになれたので、再婚を決めました。
子どもを持とうと思ったら最終段階の妊活が必要ということはわかっていたので、まずは保険が適応される範囲でトライしている状況です。
通院頻度がすごいのと、以前から個人事業主としての働き方を経験してみたいという思いもあったので、これを機に正社員から業務委託になり、勤めていた会社で部分的に仕事を継続させてもらっています。
今後の生活
直近まで、あえて素の自分が苦手そうな領域(ビジネスやインターネット)を勉強しよう、克服しようという思いで仕事をしていましたが、ずっとそれをする必要もないかもしれないなと思うようになりました。
ゆくゆくは「こういうものが世の中にあってほしい」と自分が切実に感じるようなことを仕事にして、自分なりに世の中に恩返しができるようになりたいなと思っています。
好きなもの、これまでにはまったもの
好きな場所
古い建物(特に坪庭のある京町家)、日本庭園、本屋さん、銭湯
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はまったジャンルと各ベスト3
・ジブリ
風の谷のナウシカ、風立ちぬ、もののけ姫
・ミュージカル
ウエストサイドストーリー、オペラ座の怪人、レ・ミゼラブル
・クラシック作曲家
ラヴェル、ドビュッシー、ガーシュウィン
・吹奏楽 楽曲
アルメニアン・ダンス、ドラゴンの年、ダンス・ムーヴメント
携帯やスマホを持っていない中高生時代は、部活やレンタルショップで借りたCDをコピーしてずっっっっと音楽を聴いていました。
姉が卒業してからMステを見なくなり、J-POPを全然通らずに中高時代を終えてしまったのが少し心残りです。
・お笑い
ラーメンズ、中川家、オモコロ
・宝塚
エリザベート、アナスタシア、スカーレット・ピンパーネル
・バレエ(英国ロイヤル)
ロメオとジュリエット、マイヤーリンク、不思議の国のアリス
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円安の中気合の3列目
・これまでにはまったミュージシャン
Perfume、きゃりーぱみゅぱみゅ、ウルフルズ、ゲスの極み乙女、レキシ、椎名林檎、東京事変、太田裕美、桜田淳子、山口百恵、荒井由実、平沢進、Twice、MAMAMOO、ブルーノ・マーズ、藤井風、LE SSERAFIM
大学に入学してPCをゲットし、YouTubeを知ってからはミュージックビデオを延々と見ていました。
住んだことがある場所
兵庫県川西市、愛知県名古屋市、岐阜県多治見市、大阪府豊中市、吹田市、高槻市、東京都文京区、新宿区、足立区、京都市
海外旅行歴
マニラ(2012)、ベルリン(2014)、シンガポール(2018) 、モルディブ(2020) 、ロンドン(2023)、ポンペイ・フィレンツェ・ローマ(2023)、ソウル(2024)
どうぞよろしくお願いします。