「ポスト資本主義」的な方に向かいたい
料理や洗い物をしながら、コテンラジオの資本主義シリーズの終盤2本を聞いた。
ポスト資本主義のあるべき姿について、日本で直近で出ている言説を紹介したり、コテン自身は株式会社として何をしようとしているかを話していて、胸熱な回だった。
今出てきている言説の一部しかピックアップできていないと言われていたけど、それでもいくつか同時に知ることで比較ができるのがありがたかった。
私は一つ(里山資本主義)しか知らなかったから、他の存在を知れたことがまずよかったし、共通する部分があったり、全部同時に成り立ちうるというのにも希望を感じた。
「資本主義の課題をこのままにしていていいのか」とぼんやり気になっても、ちゃんとそのことを勉強できる余裕がある人はなかなかいない。
代わりにできる限り勉強して、その概要を無料で聞ける形で公開することが社会のためになると信じてやってます、という言葉に「よっ」「そのとおり!!」と心の中で拍手した。
この前、父にコテンラジオの話をしたら「専門家でもない人がやってるメディアは私はちょっと(どうかと思う)」と言われたことを思い出す。
たしかに「教養を効率よく学べるコンテンツ」でSNSで地位を得ていく人がいること自体には危ういところがあると私も思うけど、コテンの方たちは自分たちの立場への反省も含め、完璧ではないことをかなり注意深く伝える努力をしていると思うし、理念を持ってあえてその方法をとっていることも伝わってくる。(中田敦彦は特に何の理念もなさそうなのが不安になって見なくなったけど)
もし彼らを妄信する人が現れたとしても、それは聞く側のリテラシーとか、彼らを取り扱うメディア側の問題も大きいと思う。
「ない方がましなほどの害が生じうるか」で良しあしを判断すべきだと思うので、話し出して早々に「大衆をまどわす浅いコンテンツ」のレッテルを貼られた感じを思い出すと、そういう父の態度もよくないエリート主義なんじゃないかと思った。
当時買って読んだけど内容を忘れてしまった里山資本主義は、もう一度ちゃんと読み直したいと思った。
たぶん大学生の時に読んで目が覚めるような思いになったけど、当時はそれを知っても自分の生活との結びつけ方が全くわからなかった。
これはすごく大事なことを言っている気がする。でも、じゃあ自分がどうすればこの考えに沿った形で生活をしていけるようになるのかわからない。
まだ何ができるわけでもない学生の自分は、この思想の実践につながるものを何も持っていない。ただ憧れることしかできない。
やっぱり今の社会の主流である資本主義に適応する以外に、生きていく方法も身近な人を安心させる方法も今の私にはわからない、という諦めの気持ちで、ものすごい不安を抱えながら受験業界の民間企業に就職した。
働き始めて何年かたつと、もうその本に感じた希望は私の未熟さ故の薄っぺらい理想だったように思えてきて、その本を持っていること、その考え方に憧れたことが恥ずかしくなって、読み返しもせず手放してしまった。
結果的に、私はより「資本主義」色の強いベンチャーで実務経験を積んで自分の「商品としての価値」を少し実感できるようになったことで、「これで私は「こっち側」の人に理解されなくてももう耐えられる」「やっと自分の考えに自信を持てる」と思うようになった。
よく言えば守破離の過程をたどろうとしたんだろうし、悪く言えば「資本主義からの承認を得られないと不安だった」ということになるだろう。
10年たって、やっと自分が本来気になっていた方向に素直に進めそうな感じがしている。
知りたかったことを調べ、そこへの道を作る方法が明確にわかっているわけではなくても、なんとなくたどり着けそうだという感覚が出てきた。