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映画や音楽で思い出す

朝起きた後、しばらくだらだらスマホを見てしまった。
その分を取り戻そうと、キッチンの水切りマットのほつれた縁を縫ったり、古い服を細かく切って食器の油汚れや掃除用の布にしたり、扇風機を拭いて片付けたり、たまりまくったビッグイシューの保管方法を考えたり(ダイニングの棚に平積みにした)、気になっていたこまごましたことを済ませた。

作業しながら流し見しようと思って『そして父になる』を久しぶりに見てみたら、福山が演じる父親役の嫌なやつっぷりが前よりもかなりリアルに無理で、途中でやめた。
前に見たときは、たぶんこういう嫌さをフィクションとして捉えてたんだろうけど、今はこれと同じ方向性の嫌さを見たときのことを思い出してしまう。

あそこまであからさまに社会的な地位を見比べてマウントを取ろうとする感じはなかったにせよ、”努力が足りない人間”を見下す感じ、自分のメリットのためなら他人を叩きのめそうとする感じを「見たことある」と思ってしまう。
まあよくよく考えれば、自分が完璧な被害者で、相手に誠意があるかわからないとき、うまく丸め込もうとしてくるかもしれない敵になめられないために対抗する必要があるのはわかる。
でもやっぱり、そこまでの態度を取る必要があるのかと思わずにはいられないほど相手を威嚇していたと思う。
やっぱり、勝ち負け・順位付けのある世界の人、家父長制・女性蔑視の価値観で生きてた人だったということか。

一昨日、Twitterで「嫌知らず」という概念を知ったときに、一緒に思い出されたあの発言もこの発言も、今思えばだからそういうことを言ってたのか、と思えてきた。
「女というだけで配信でもすればそれなりに金になる(からやればいいのに)」「承認欲求を満たせさえすればどんな相手にもちやほやされたがる女はいる(だから自分もやればいいのに)」「(結婚後働きたがらない女性も多い中)一般的な女よりも稼いでいて偉い」(※実際はどれももう少し婉曲な表現だったけど、だいたいこういう意味のことを言っていた)
事実と言えることもあるし、一概に差別的な発言とは言い切れないけど、なにか引っかかるようなニュアンスを感じたのは、やっぱりその裏に女を同じ人として見ていないというか、側とか属性でしか見ていない感じがするからだろうか。



夜、ライブの予習をしようと思って、椎名林檎の新曲のMVをテレビで流して夫と一緒に見た。
女性歌手とのコラボ曲だと、初見でのインパクトがあまりなく、個性が出てなくて物足りない感じがすると思っていたけど、MVの世界観を合わせて見ると満足感が上がる感じがした。
まだ覚えるほど繰り返し聞いてないから、聞いているうちにまた印象がくっきりしてくることもあるかもしれない。

という感じで新曲も徐々に好きになっていったけど、前に聴いていた曲は覚えきっているのもあってか、やっぱり聞いていて圧倒的に気持ちがいい。
何度聞いても新鮮に好きだと思うし、改めて聞くとタイプは違えど人生賛歌という感じの曲が多いのが大人としていかすなと思うし、この時期の曲はこんなに明るかったんだ、と改めて気づいたりもした。

夫もある程度前の曲はほとんど知っていたけど、お互いそれを楽しんでいた時期にはそれぞれの思い出があるんだよなと思った。
それでも今一緒に楽しめることがすごく嬉しかった。


ブルーノマーズの曲も久しぶりに聞いた。
ちょうど一年ぶりくらいだったから、ライブに行った頃の季節の雰囲気も一緒によみがえってきて、今年も冬が来るんだなと思った。
これから毎年冬の恒例として楽しんでもいいなと思うとわくわくした。

久しぶりに聞いても、一発でライブの興奮がよみがえる。やっぱり世界レベルのエンターテイナーはすごい。

この曲がオープニングでかかって、感動で鳥肌が立った。
人生初ライブが、たまたま行けなくなった人の代わりに参戦させてもらったブルーノ・マーズの来日公演だった。

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