断食とレーシック
沖縄での半年の生活を終え、実家に一時的に戻った時の話。(なぜ沖縄にいたかについては、こちらのコラムをお読みください)さあ、これからまたアーティスト活動に戻ろうか、東京でまた1人暮らしを始めようか、というちょっとした間に、私にはどうしてもやりたい事が二つありました。
断食と、レーシック(視力矯正手術)です。
なぜこの二つをしたかったか。
どちらも、「仕事をしていない、人前に出なくてよい、安全のため誰かが一緒に住んでいる」という条件が、必要だったのですが、10年ぶりくらいに実家にお世話になっていたので、その条件が揃ったところで、2つともやることにしました。
レーシック
裸眼の視力が0.03だった私のメガネは非常に分厚かったので、メガネをかけると目がものすごく小さくなってしまい、まるで別人。(ちびまる子ちゃんの、丸尾くんのような....)顔の輪郭も変わって見えるほどでした。
当時、レーシックの手術を受けるには、ハードコンタクト使用者は手術まで2週間は裸眼で過ごさねばならなかったのですが、今まで人前に出る仕事をしていた私には、裸眼で、(つまりメガネ顔で)2週間過ごす勇気がなかったのです。
メガネやコンタクトがないと、なんにも見えない、というのは、考えると恐怖でした。寝ている時に災害に遭ったら。歩いている時にコンタクトが落ちてしまったら。そんな生活を20年も送っていたので、レーシックで視力を矯正できるなら、そんなチャンスを逃すわけにはいきません。
断食
断食は、5年目だったヨガの練習の一貫で一度はやってみたかったのですが、初めての断食は安全のため1人でやらない方がよい、と教わっていたので、一人暮らしの間は実践できませんでした。
初めての断食
信頼しているシバナンダヨガの先生にやり方を確認し、シバナンダの本に書いてある断食の仕方に従って、三日間の水断食をすることにしました。
両親に、「断食するから部屋にこもるけど、気にしないでね。ご飯いらないからね。」と伝えると
「え?!断食?死んじゃうよ〜」「そんな事、なんで好んでやるんだか」
と少しあきれられました。
目の前に2リットルの水3本と、断食明けに飲むりんごのすりおろしジュースを置いておき、朝から断食を始めました。
1日目
昼くらいから「お腹が空いた」ということばかりに意識がいく。散歩、軽い体操、読書、などを勧められていたが、お腹が空きすぎて、字を読んでも意味が頭に入ってこない。
何もしないので、時間がとても長く感じる。カロリー不足のせいか、眠くなる。
水が唯一、口に入れられるものなので、ごくごく水を飲むと、お腹はいっぱいになるが、眠気がとれない。昼寝をする。
唯一、沖縄で付き合い始めたばかりの彼氏(後の夫となる人)と遠距離中だったので、長い夜は、スカイプでお互いの話をしながら過ごしたのが救いだった。付き合いたてだったので色々話す話題があり、空腹感がまぎれ、夜は辛かった気がしない。
今考えれば、これは断食中なのにズルをしたような気もする。本当はその空腹の辛い気持ちと向き合うべきだったのか?とも思う。でも、誰とも話してはいけないというルールもないので、まあOKとしよう。
2日目
次の日起きてみると、体が浮いているような感覚になっていた。実家は2階建てで、2階にリビングルームがあるので上がってみると、階段を登る足がフワッ、フワッ、という感じで軽く上がり、視界が明るい気がする。
医学的に言えばちょっと危ない状況なのかも?と思ったけど、まだ2日目だし死ぬわけもないと思って断食を続ける。
お腹が空いて辛い、という症状はあまりなくなるが、匂いにとても敏感になる。
父親が、トーストにバターをつけながら私を見るなり、「あ、美味しいよ〜」「悪いね〜」と言いながら、楽しそうに過ぎ去っていった。
「ああ、本当に、死ぬほど美味しそうな匂いだな....」と思いながら水をごくごくと飲む。
外に散歩に出てみると、皮膚が敏感になっているのも感じる。頬にあたる風の感触で鳥肌が立つほど。100メートルくらいで疲れてしまい、引き返す。
眠気はずっと消えず、テレビを付けてみたが、気付いたら寝ていた。
夜はまた彼氏と長々と話しをする。彼の、「断食するなんて、勇気がある」という言葉にとても心が打たれる。トーストで誘惑してくる親に比べ、真摯に応援してくれる彼は何ていい人なんだ、と、本気で感動する。
3日目
朝起きると、いっそうフワフワ感が増している。
3日目になると、あともうちょっと我慢すれば、このりんごジュースを飲めるのだ、という楽しみで、空腹を乗り越える勇気が湧く。
瞑想してみよう、と思い、瞑想していたら、いつの間にか寝ていた。本当に、時間がゆっくり、ゆっくりと流れていた。
思考だけはすごく冴えていて、色々な考えがクリアーに、シンプルになる。またアーティスト活動をするために沖縄から東京に帰ってきたけど、今後、沖縄で彼と暮らす道を選ぶタイミングなのかもしれない、何を悩む理由があるんだろう、と考える。
もしかすると、断食をしていたせいで、生きていくのに必要なことが、自然と頭の中に浮かんだのかもしれない。
4日目
ようやく、待ちに待ったりんごのすりおろしジュースを飲む瞬間がやって来た。
断食を終える時は、少しずつ体を慣らしていかなくてはならないため、4日目はそのりんごジュース300mlと水、5日目は野菜のサラダと水、というように栄養を増やしていかねばならない。
4日ぶりに口にした、味のあるもの。りんごジュースは美味しすぎて、うれし涙が出るほどだった。すさまじく味が濃く感じ、3口くらい飲むと幸せに満たされた。
あれほどエネルギーがなくなったのに、りんごジュースを飲んだ私は驚くほど元気になり、一気に地に足が着く感じがした。
5日目
こんな感じで、私の初めての断食は終わりました。何と、5日目は野菜サラダだけの予定が、2日目に父が食べていたトーストを食べてしまいました。断食が開けていたので、もう食べたい気持ちを抑えられませんでした。
その10日後にレーシック
さて、断食の間も裸眼で過ごしたおかげで、その10日後にはレーシック手術を受け、なんと数分で視力が回復します。
20年以上も裸眼ではぼやぼやの世界で過ごしていたのに、数分で、急に遠くまで見える目になるのです。
その感動ったらありません。術後は30分、目を閉じて休まないといけなかったのですが、見たくて見たくて、休みながらも薄目をそっと開けて、(うわー!見える!)と心の中で叫び、ニヤニヤとしていました。
毎朝起きた時に、目がはっきりと見えるので、寝起きがよくなりました。
失って初めてわかるもの
人間というのは、失って初めてその本当の有り難みがわかるものです。私にとっては、視力であったし、食べるという行為でした。
断食するまでは、私はさほど食べ物に興味がありませんでした。雑誌を読んでも、グルメのページ、レストランのページなどは飛ばしてしまい、読んだことがありませんでした。
断食をしたおかげで、毎日の食事って、何て素晴らしいんだろう。食べられるって、何て幸せなことだ、と日々噛み締めるようになりました。食事が幸せ、と感じるようになれたのは、断食をしたおかげです。
断食とレーシック、やりたかったことをやり遂げたおかげで、その後の私の人生は劇的に幸せになりました。
マイコ
追記:このコラムは断食をお勧めしているわけではなく、方法を紹介するものでもありません。断食をされる場合はプロの指導の元でお願いします。