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アロマセラピーのケアにおいて、メインはもちろん「嗅ぐ」ことなのだけれど、もう一つに「触れる」=タッチケアがある。

アメリカのマイアミ大学にあるTouch Research Instituteでは、世界で唯一タッチケアを一つの学問として捉え、多くの研究が行われている。最近よく聞くベビーマッサージも、この学校が最初に作ったもの。

その研究の中で、火傷を負った子供がタッチケアをすることで傷の治りが早まった、という実験結果がある。

昔から「手当て」という言葉があるように、私たちはどこかが痛い時、自然とそこに手を当てることがあるが、これは単なる迷信ではなく、科学的にも有効とされているケアだということ。

また、保育器に入った低出生体重児にベビーマッサージを行うことで、脳神経系の発達を促すと共に情緒系の発達にも貢献することもわかっている。

子供にとって、触れられることが発達に影響を及ぼすということは、逆を言えば、触れられないことで何が起こるか…も、容易に想像できる。

先日修了したフルボディケアの授業の中で、「触れる」ことについて実践と共に学んでから、人にとって「触れる、触れられる」ことがいかに大切かを実感した。

そこにはもちろん、不快な触れられ方もある。

人の肌にはそれぞれ異なる受容体があり、触れられた時にその感覚が電気信号として脳に伝わり、快・不快と感じるようになっているのだが、心地よいタッチは幸せホルモンのオキシトシンを分泌し、何とも言えない充足感や落ち着きを与えてくれるし、逆に不快なタッチはものすごいストレスとなって、心身に影響を及ぼす。

その感覚の差は、自分が思っている以上に繊細なものだと、ボディケアの実技を通じて実感した。ちょっとした手の位置、力の具合、スピードで、驚くほど感じ方が変わってくる。

そんなことを知ってから、4歳と2歳の息子たちにも寝かしつけの時にたくさん触れて、足をマッサージしたり、背中をさすったりするようになった。

最近ではたまに忘れていると、「ママー、まっさーじしてー」と言ってくるほど。

これは子供だけでなく、大人も一緒なのだと思う。

「触れられる」ことで感じる安心感。

それなのに、私たちは大人になる程、触れたり触れられたりすることが恥ずかしくなるのは何故だろう。

昔、私の祖父が亡くなった時、枕元で祖母が、祖父の冷たくなった頬に手を当てて、おでこにチュっとしたことがあった。

生前は、手一つ触れ合うことのない姿しか見ていなかった私は、その光景がとても衝撃的だった。と、同時に、言葉では言い表せない深い愛情を感じて胸が熱くなった。

日本人は文化的に「触れる」ことが苦手なところがあるけれど、やっぱり皆、心のどこかに「触れられたい」という気持ちがあるような気がする。

そう考えると、アロマセラピーケアを作る二つの要素

「香り」+ 「触れる」

は、どちらも、つい頭で考え過ぎてしまう私たち大人の本能の部分に働きかけてくれる、最強の組み合わせ。

歳を重ねるごとに自由に、解放されていくのが人として自然の姿であるとしたら。

恥ずかしさを少しだけ捨てて、大切な人に触れることを臆せずしていきたいと思う。


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