何もしない
音声で聞きたい方はこちら↓
世界の仕組みを知って楽に生きるためのメッセージを
YouTubeで音声でもお届けしています。
音声のみなので、
ラジオのような感じで聞き流してください。
YouTubeにアップするにあたって、
少し体系的にまとめています。
このnoteは、文字起こししたものです。
こんにちは、
世界の仕組みを知って楽に生きる
メッセージをお伝えしています、
maikoです。
今日は、
何もしない、
そうすれば楽に生きられるよ、
という話をしようと思います。
さんざん、今までの音声で、
あれしない、これしない、
って言ってきたのに、
結局、
何もしないって言うんか〜いって
自分でもツッコミたくなりますが、
それでも、やっぱり、
楽に生きるためには、
何もしない、というのが結論です。
ただし、文字通り何もしないでは、
生きてはいくことはできません。
ですから、
これから説明していきますね。
ここで言っている、
何もしないということについて、
ポイントは2つあります。
1つ目は、
やってくる思考に惑わされて、
何かしないこと、
2つ目は、
あるがままをコントロールしようとして、
何かしないこと、
です。
順番にお話ししていきます。
まず1つ目の、
やってくる思考に惑わされないという話です。
例えば私なら、
お腹が空いたら食事をするし、
排泄したければトイレに行きます。
どんなにしんどくても、
自分しかする人がいなければ、
子どもを保育園に迎えに行きますし、
ご飯も食べさせます。
そこに迷いは生じません。
本当にしないといけないこと、
絶対にすることになっていることは、
例えイヤイヤでも、面倒くさくても、
するかどうかについては迷う余地もなく、
当たり前のこととして自動的にするか、
無意識に、もしくは反射的にします。
その時、思考し、判断するという
プロセスがなくなります。
それは自我のない、つまり、
自分が思考し判断し行動している
と思っている感覚がない状態です。
それらについては、
自分が何かを"している"のではなく、
自分に何かが"起きている"、
と言って差し支えないですよね。
そして実際、
その自分が思考し判断し行動している
と思っている感覚があろうとなかろうと、
現実で起きていることは、
自我の思考し判断するというプロセスとは関係なく、
起きていることですので、
真理と何ら食い違いありません。
逆に、
するかしないか考えるようなことって、
迷う余地があるくらい、
しなくても大丈夫ということだから、
しないでいいいですよ、という意味で
何もしないことをここではおすすめしています。
ここからは、
やってくる思考に惑わされない、というのが
具体的にどういうことかを、説明していきますね。
私たちは、
頭の中に思考が色々と湧いてきます。
で、それをごく当たり前に、ごく自然に、
自分の意見として、
聞いてしまっているんですよ。
例えば、
チョコレート食べたいなあ。
という思考が頭の中に湧いたとしますよね。
この時、
あ、このチョコレート食べたいっていうのは、
石原さとみさんの思いだな、
って受け止める人、いないですよね?!
ここにいる自分の思いだと思って、
聞きいていることと思います。
そんなこと考えてもみないくらい、
当たり前のことだと思います。
で、
砂糖の摂りすぎになるからやめよう、とか
チョコ買うならコンビニを通る道に変更だ、とか
次の思考がどんどんやってきて、
チョコレートを食べる、
という意見を採用するかどうかはさておき、
チョコレートを食べたいということが、
自分の意見とだと一度は認めた上で
話を進めています。
でも、実は、そこからが勘違いです。
それは、自分のものだと受け止めてしまう、
それはただの癖です。
ですから、いちいち、
思考のこれしたい、あれしたい、
これしようかな、あれしようかな、
を自分の意見だと思って、
まともに聞かなくていいです。
あ、チョコレート食べたいって思ってる〜、
でもそれは自分の思いではないから放っておこう、
って意見を取り合わない。
自分の意見ではないから、
採用するかどうか、検討する余地もない。
そうすると思考は最初のワンフレーズ、
チョコレート食べたいなあ、で終わります。
このことは実際、
石原さとみさんのチョコレートのCMを見て、
その反応として、
その思考がやってきているかもしれないので、
「チョコレート食べたい」は石原さとみさんの思い、
というのはあながち間違いでない
かもしれないくらいのことです。
思考を悪者にして、躍起になって、
消す必要はありません。
というか、消せません。
全て自分のものだと思わず、
あるがまま放っておけばいいです。
今回の本題とは関係ありませんが、
例えば、
意地悪な考えが浮かんでしまった、
差別的な考えが思い浮かんでしまった、
エッチなことを考えてしまった、
そういうことも、
いちいち罪悪感を感じたり、
反省したり、
深掘りする必要はありません。
ただ、
自分の考えだと思わず、
相手にせず、
流します。
他の例を出してみますね。
朝起きて、
仕事行きたくないなあって
思うとします。
それはあなたの思考ではないので、
あ、何か言うてるわ、くらいに無視して、
淡々と仕事に行く準備をしてください。
今まで、この頭の中のつぶやきを、
まともに自分の意見として取り上げていたから、
「いや〜でも、
休んだら打ち合わせのキャンセルとリスケが
逆にめんどくさいよなぁ」とか、
「今日こんな行きたくないのは、
昨日夜遅くまで遊んでたからやん、
早く寝ればよかった〜」とか、
「こんなに毎日行きたくないんやったら
転職しようかな、
でも転職したら給料下がるかもしれないしな〜」とか、
その後続く話を、
自分自身から延々と聞かされるハメになるんですよね。
無視して、消えていけば、それだけのことです。
でも、例えば、その後、
え?!何か熱あるんちゃう?ってなって、
体温測ったら、40度ありました。
はい、即休もう〜ってなります。
この時、
行きたくないなぁという思考はありません。
上司に連絡する、
パジャマに着替え直してベッドで寝る。
そこには会社を休むという行動しかありません。
転職するときも同じです。
転職しようかなぁという考えが浮かんでいるうちは、
その考えは無視して大丈夫です。
「あ、私もうこの会社にはいられない」
その決意だけがフッと湧く時があります。
そして、
その5分後には転職サイトに登録している。
そこに迷いはありません。
ただ決意と行動だけが起きている時、
もしくは、
決意すらすっ飛ばして行動だけが起きている時は、
そこに何かをしている者はおらず、
迷いもありません。
自分は何もしない、
けど自分に行動が起きている、
ですから生きていくのは困りません。
この時、
自分が何か考えたり、
悩んだりすることもないし、
行動するために頑張ることもないので、
ものすごく生きるのが楽になります。
次に、2つ目の、
あるがままをコントロールしようとして、
何かしないこと、
という話をします。
個人として存在し、
自分が思考し、判断し、行動している
と思っている私たちは、
その習性として、
安心を得るために、
あわよくば全てのものを、
自分の都合の良いように変えたい、
そう思っています。
肉体的にも、精神的にも、社会的にも、
常に危険と隣り合わせで、
そうしないと自分を守れない、
生き残れないと
思っているからです。
だから、
周りを自分の都合の良いようにするために、
他人に口出しや注意せずにいられないし、
直接介入できなければ、
批判せずにいられません。
自分自身も都合の良いようにするために、
何かを手に入れたり達成したりせずにはいられないし、
直接その努力ができなければ、
現実から目をそらす逃避行動をせずにいられません。
とにかく、不安で仕方ない。
だから、周りのことも自分のことも、
何もしないで、あるがまま放っておけない、
それが、自我です。
でも、これで生きることは苦しいです。
なぜなら、現実は、そんなに
自分の都合の良いようにコントロールできないし、
できたとしてもその状態は必ず変化して、
永遠には続かないからです。
ああ、そんな自我の習性なんて、うんざりだ、
自我なんて消えてしまえばいいのに、
そう思って、
瞑想に取り組んでいる人も
多いのではないでしょうか?
まんまと罠にハマってしまいましたね・・・。
って、私がハマったんですけどね。
それ、
自分が個別に生きているという感覚、
自我をあるがまま受け入れず、
消そうとしてしています!
本当に、何もしない!って気をつけておかないと、
すぐに自我は何かしたがります。
悟るために、自我を消すために、
瞑想しているくらいなら、
しない方がマシです。
なぜなら、
何かを求めている、
何かを達成しようとしている、
例えそれが自我を消そうとすることであってすら、
それは自我を強めることになり、
逆効果だからです。
瞑想がダメだと言っている訳ではないです。
瞑想は、何もしない、
その結果として、
自然としているものです。
瞑想の話は次回以降また話をするので、
本題に戻ります。
この世界は夢です。
夢で達成できることは何もありません。
本当の意味で楽に生きるために、
私たちが求めるのは、
夢から覚めることだけです。
でもこれは、
夢の中の私が達成できることではありません。
私たちは、夢の中にあっては、せいぜい、
これは夢なんだと気づいていることしか
できません。
でも夢の中身をどうにかしようとする限り、
それは夢の中に入り込むことであり、
夢の中で苦しむことであり続けます。
私は行為者ではない。
私はコントロールしない。
全てをあるがまま受け入れて、
そのままに放っておく。
それだけを、いつも意識しておく。
それすらも、許される範囲でしかできませんが、
でも、それが私たちにできることだと思います。
逆に、
そう意識していないと、
本当に、あっという間に、
笑っちゃうくらいすぐに何かしてますよ。
そして、
私は行為者ではない。
私はコントロールしない。
全てをあるがまま受け入れて、
そのままに放っておく。
と意識していると、
1つ目の話の、
やってくる思考に惑わされない
というのもやりやすくなります。
でもね、ここで注意しないといけないのは、
何もしない、というのは、
「何もしない」ということもしては
いけないということなんですよ。
結局どうすればいいねん?!
って混乱しないでくださいね。
落ち着いていきましょう。
私はこれを意識して生きていく中で、
気づいたことがあるんですけど、
ある臨界点を超えると、
放っておけなくなる、
ということなんです。
ある程度までは、
あるがまま放っておくことができるんですけど、
どこかのタイミングで、
考えずに動いてしまう、
そういう瞬間が、来る時は来ます。
もちろん来ないときもあります。
例えば、
子どもに対しても、
思い通りコントロールしないように、
あるがまま放っておく、
ということをずっと意識するようにします。
でも、
一線を超えると、
例えば約束を大幅に破ってるとか、
夜寝るの遅すぎとか、
何か臨界点を超えると、
考えるより先に言葉が出てますね。
ですから、
間違えないようがないんです。
何もしないと決めていても、
私がするはずのことをしなかった、
ということは起こり得ないので、
心配いりません。
本当に、
この世界はすごいシステムですよ。
感心と感動しかないです。
で、実はこれは、
普段から皆さんにも起きていることです。
さんざん自分は何もしないようにしよう!
と言っていながら、
私たちは完璧にそれが普段からできています!
わ〜い!めでたいですね!
だって自我に何かをコントロールする力も、
何かをする力も、もともとないんですもん。
ただそこに、
自分がやったという思いがあるかないか、
それだけの違いです。
ですから、別に何意識せずに、
色々と何をやっても、
それはそれで間違いではないんですけどね。
楽に生きたいなら、おすすめしない、
ただそれだけのことです。
やりたいことは、
なんでもやってください。
そして、
この世界は本当に自由です。
世界を見渡してみてください。
嘆く自由も、
怒る自由も、
病気になる自由も、
お酒を飲む自由も、
他者を殺す自由も、
そしてその結果苦しむ自由も、
あります。
神様が、大宇宙が、自然界が、
認めているからできていることを、
なぜ私が口を出す?手を出す?
いちいちイライラするな、
いちいち心配するな、
自分がコントロールしようとするな、
放っておけ、じゃないですか?
そして、
例えそう強く思っても、
思考は反応として自動的にやってきて、
あれがおかしい、これがおかしいって言うし、
何かすることが起きる時はおきます。
それも放っておきましょう。
さて、今日は、
何もしない、
そうすれば楽になるよ、
という話をしました。
いかがでしたか?
全て夢なのだから、
何もしない方が楽だ、
こんな話は魅力がないですか?
もしそうだとしたら、
この世界で幸せになれると
希望を持てているのかも
しれないですね。
その余裕があるうちは、
その道を進まれるといいと思います。
私は、
生きるのが苦しくて、
生きるのが面倒になって、
死にたくなって、
私は何もしなくていい、
そう思ったら
すごく楽になりました。
私は何もしていないのに、
全自動で進んでいるから
楽になりました。
私は何もしていないから、
過去に対する罪悪感も、
未来に対する不安もなくなり、
楽になりました。
今日お話ししたこの2つのポイントは、
思考を自分だと相手にしない、
現実を幻想だと相手にしない、
真我、本当の私の視点です。
ただし、視点だけで、
言葉にして、こうやって説明している時点で、
思考だし、幻想だし、自我です。
今回で自我と題したシリーズは終わり、
次回からは、真我と題した新しいシリーズにて、
真我、本当の自分についてや、
今日詳しく触れられなかった瞑想についても
話をしていきたいと思いますし、
私がずっと疑問だった、
ワンネス=愛って何やねん?
っていう話などもしていきたいと思ってます。
ワンネス=宇宙とか
ワンネス=生命エネルギーとかはまだしも、
愛ってほんま何?ってずっと思ってたんですよ。
そう思っていらっしゃる方いらっしゃいませんか?
これからも、このような、
世界の仕組みを知って楽に生きるメッセージを
発信していきますので、
よろしければチャンネル登録して、
聞いてみてくださいね。