無理しない
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世界の仕組みを知って楽に生きるためのメッセージを
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音声のみなので、
ラジオのような感じで聞き流してください。
YouTubeにアップするにあたって、
少し体系的にまとめています。
このnoteは、文字起こししたものです。
こんにちは。
世界の仕組みを知って楽に生きる
メッセージをお伝えしています、
maikoです。
今日は、
無理をしない、
そうすれば楽に生きられます、
という話をします。
無理しない方が無理するより楽だ、
というのは自明のことだと思いますので、
まず、
前提として、
私がお伝えしたいところの、
無理をしないってどういう意味か、
次に、
なぜ私たちは無理をしてしまうのか、
そして最後に、
なぜ無理をする必要がないのか、
ということを、
順番にお伝えしていこうと思います。
まず最初に
無理をしないってどういうことか、
についてです。
結論を端的に言ってしまうと、
無理をするというのは、
あるがままに逆らうということです。
逆に、
無理をしないというのは、
あるがままに身を委ねるということです。
ではあるがままって
どういうことでしょうか。
まず、他者や環境のあるがままは、
分かりやすいですよね。
他者や環境は、
自分の意思とは関係なく起きてくる
そのままの様子や出来事のことです。
次に、自分のあるがままは
どういうことでしょうか。
自分のあるがまま、というのは、
何も手を加えない生まれたままの姿、
そして、
自分の欲求を一切押さえつけない奔放な言動、、、
ではありません(笑)
今言ったような、
自己中心的で短期的な欲求だけでなく、
自分は他者にこのように受け止められたい、
自分は将来こうありたい、
というような、
社会的で長期的な視野に立った欲求も含めた上での、
自分が自然と、まさに無理なく、
今そうしたいと思えるし、
さらに自然と、無理なく
実行することができる
自分の姿、そして言動です。
そして本当は、
自分も他者も環境も全て1つの存在であり、
どれも、
自分の意思とは関係なく起きてくる
そのままの様子と出来事、
と説明できるんですけどね。
一応、自我がある設定で説明を分けました。
その、あるがままに逆らうというのが
無理をするということなんですけど、
ここでは、
私が無理をしないようにしているポイントを
3つ挙げていきます。
まず1つ目は、タイミング的な無理です。
私たちにはやりたいことを実行するために、
予定を立てるわけですが、
まず、予定の段階で
中々調整がつかないことがあります。
例えば、
相手の都合や参加したいイベントの日程に、
自分の都合を調整することができなかったり、
調整できたとしても、
自分が体力的にも時間的にもすごくタイトになったり、
誰かの都合を変えてもらわないといけなくなったりする
場合です。
こういう時は、
無理してスケジュールを調整しないようにします。
また、
予定は立てることができたけど、
それに至るまでの計画がハードだったり、
天候や予想外のアクシデントなどで
計画通り行かなかったりする場合も、
無理をして予定したことを決行しようと
しないようにします。
次に2つ目は、経済的な無理です。
私たちはやりたいことを実行するために、
必要な経費がかかる訳ですが、
そのお金が簡単に出せないときがあります。
それは、
収入や慣れている生活レベルによって
感覚は違うと思いますが、
それぞれ自分の感覚で大丈夫です。
日々のちょっとした買い物でも、
例えば、
シャツに1,500円は迷わず出せるけど、
15,000円だとかなり迷う。
それなら無理して買わない。
迷うということは、
何か無理があるということです。
高くても絶対に必要なものなら、
迷いは出てきません。
どんなに便利で素敵な家であっても、
どんなに最高の学びの環境であっても、
日々の暮らしの負担になり、
辛くても仕事を変えられないような額の、
住宅ローンは組まないようにするし、
学費も出さないようにします。
最後に3つ目は、心理的な無理です。
頭ではこうした方がいいと思っていても、
どうしても気分が乗らない時があります。
どうしてもやる気になれない。
そういう時は、
無理してやろうとせず、
できる範囲のことをやって、
やる気になるまで待ちます。
ポイントは、
頑張れば可能でも、
無理しない、ということです。
頑張っても無理なら、
できないのは分かりきっていることです。
私も以前はそうでしたが、
多くの人が、
頑張れば可能なら、
無理して何とかしようとしてしまいます。
それで、生きるのが苦しくなります。
とにかく、
あるがままというのは、
一番自然で、一番無理がなくて、一番楽、
ということは、
誰が考えても当たり前のことなんですけど、
みんなそれを何とかしようと無理をして、
苦しい〜苦しい〜と言っている。
ではなぜ、
私たちは無理をしてしまうのでしょうか。
それは、
あるがまま放っておくことも、
つまり、無理のない範囲で流れに身を任せることも、
個人として生きている感覚がある自我からすると、
苦しいからです。
不安だからです。
恐怖だからです。
私たちは、
”自分の”思い通りにならないと、
自分の身が危ないと思います。
こうなってないと将来困るんじゃないか、
こうなってないと損をするんじゃないか、
こうなってないと満たされないんじゃないか、
自分の身を守るために、
こうあるべきだと考えます。
あるがままをあるべきに
変えようとします。
それは、
個人として生きている自我が、
いつも消えてしまうかもしれない
つまり、
病気や老いなどの肉体的な死、
誰からも必要とされず、お金も稼げない社会的な死、
何の喜びも楽しみもない精神的な死、
それらといつも隣り合わせで、不安を抱えている以上、
避けられない習性とも言えます。
そして、無理をして、苦しむ。
でも苦しい中でも一番楽なのは、
あるがままで放っておくことです。
どうしてかというと、
私たちに、
現実を変えることはできないからです。
私たちは、
個別に自由意思を持っているように見えて、
個別ではなく一体の存在であり、
自由意思はなくただ現象として起きているだけです。
この詳しい話は過去に話しているので、
興味がある方は、
「私たちに自由意思はない」
「本当の自分を知る」
という音声を聞いてみてください。
例えていうと、こういうことです。
人形劇で、
1人の人形使いが決まった台本を
操作しているとします。
そこで、1体の操り人形が、
台本では料理を作ることになっていたのに、
自分が自由に動けると勘違いをして、
ダンスをしようとした。
ダンスの動きをする力を入れていて、
包丁を握らされたら、
力が入っている分、身体が痛いですよね。
料理をすることは、
不本意で、嫌で苦しいかもしれないけど、
糸で繋がっている手足をだら〜んとさせて、
力を抜いて、人形使いに身を任せていたら、
抵抗による痛みはなく、
比較して楽です。
説明する必要もないと思いますが、
1人の人形使いは、
私たちが全体で1つの存在であり、
決まった台本は、
私たちに自由意思はない、
ということです。
そして、もしあなたが人形使いなら、
台本で料理を作ることになっていれば、
そこにちゃんとキッチンの舞台が準備して、
包丁と食材が用意しておくはずだし、
もしダンスを踊ることになっていたら、
ダンスフロアの舞台をセットして、
人形自体も間接が自由に動くけるように作り、
ドレスを着せておくはずです。
つまり、
タイミングが合わないのなら、
今はそれをするタイミングではない、と思って
無理をしなければいいのであり、
お金が用意されていないなら、
今はそれをする場面ではない、と思って
無理をしなければいいのであり、
気分が乗らなくて
できないでいられるくらいなら、
今はそれをしないでいる設定、と思って
無理をしなければいいということです。
台本でやることになっていたら
例え嫌でも、
気分がどうのとか言わずにやることになるか、
もしくは、
いつかのタイミングで気分が乗ることになるので、
人形が心配することじゃない、
ということです。
だから、私たちは無理をする必要がありません。
でも実は、この話には一つトラップというか、
気をつけないといけないことがあります。
それは
無理をしないことを、
無理をしない、
ということです。
結局、
無理をすることも自然と起きてくることで、
それを無理して無理しないようにすることで、
無理が出てきて、また苦しくなるという、
何を言ってるんだか分からないループに
入ってしまいます。
ですから、
真理のメッセージを聞いて、
自我のこうあるべきが薄まってきて、
自然と無理をしなくなって、
そうするとまた自然と、
自我のこうあるべきが薄まってきて、
みたいな両輪のような感じで、
だんだん生きるのが楽になってきたらいいな、
と願っています。
今日は
無理をしない、
そうすれば楽に生きられます、
という話をしました。
いかがでしたか?
これからも、
このような世界の仕組みを知って楽に生きる
メッセージの音声を上げていきますので、
よろしければチャンネル登録して、
聞いてみてくださいね。