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【徒然なる儘に】自分の人生を変えるとき

昨日は精神科の通院日だった。
診察では、最近気力と集中力が少し出てきたことを報告。

それからわたしはこんな質問をした。

「先生、わたし今までどんなに苦しいときでも頑張ろうと思ってきたのですが、最近頑張ろうと思えないのです。」

先生は
「うつだからでしょう。」

と言ったあと、

「貴女は入退院を繰り返す壮絶な人生を送ってきたし、もう十分頑張ってると思いますよ。
これからは、もうあまり頑張ろうと思わなくていいと思います。
それに、頑張ろうと思いすぎるのも良くないですし。」

わたしはまず先生が自分の人生を壮絶な人生と言ってくれたことが嬉しかった。
周りにはそのことを知っていても、言葉に出して言ってくれる人はいないから。

たしかにわたしはよく頑張ってきた。
何度でも立ち上がる自分はすごいなと思うことがある。
普通ならばとっくに心が折れてしまっている。
わたしは本当に強い人間だ。

わたしは頑張らない生き方をしたことがない。
特に病気になってからは、頑張って良くなろうといつも努力してきた。
頑張ろうだなんて思えないような苦しい日々の中でも、良くなりたいと常に頑張る意志を持ち続けた。

頑張らない人生とは、楽な人生のことだろうか?
好きなことや楽しいことだけ考えて生きる人生のこと?
わたしはそういうのは向いてないのだけれど、先生が仰ることだから真剣に考えてみようと思う。

普通はそういう人生ってわりと理想なんじゃないかと思う。仕事もせずに遊んで生きるような毎日だ。
我慢や努力をしないで、好きなことや楽しいことだけをするような人生。

今はまだ気力が足りないけれど、例えば読書、ギター、アニメなど好きなことを好きなときに好きなだけ出来たら、毎日は充実するだろうか?
あと、勉強はしたいな。頑張らなくても成長はしていきたいと思う。

出来るだけ家事もやる。わたしは愛情を持つ人のために家事をすることに苦労ではなく喜びを感じるから、頑張らない程度にだけどやりたいのだ。

頑張らない生き方。きっとわたしくらいの重篤な障害者にはそんな生き方が相応しいのだろう。

その代わりにわたしには諦めるべき人生がある。
昔の侍のように志高く誇り高き精神で、厳しい生き方で何かを成し遂げるような人生を送りたかったのだ。

本気で目指そうとした時期もあったけど、それにはどうしても健全な肉体と精神が必要だった。
わたしは今回の人生ではそれに恵まれなかった。
そのことは、今でもとても無念だと思っている。

何かを成し遂げたいという気持ちの傍らから、それは君では無理だよという声が聞こえたとき、理想と現実をきちんと見つめなければならないと悟った。

一つの人生を諦める瞬間は、新しい人生が始まる瞬間でもある。
一生のうちでもとても大きな転機だ。

これからその人生が変わるのだ。
物事は良い方向に捉えよう。
きっと、楽な人生では心にゆとりが持てるだろう。遊びからだって学べることがあるはずだ。

ただ、わたしは楽しむことが苦手だ。
楽しむ努力が必要なのかもしれない。
特に、一人で過ごすことが全然楽しいと思えない。
好きな人たちと過ごすのはとても楽しいけれど、一人の時間も楽しめるようにならないと、この先何をして遊んでもただの暇つぶしにしか感じられない。

文章を書くのは楽しいと思っている。
ここに行き着くまで何年もかかった。
そのうちまた何か見つかるだろうか?

とにかく、
これからの人生は自分が望んだ人生ではないけれど、これからも精一杯生きることに変わりはない。

そうだ、楽だろうが遊んで暮らそうがわたしはとにかく精一杯生きよう。

精一杯生きることにはいつも頑張る人生を送ろう。

結局何も頑張らない人生なんて無理だと思うんだ。
だけど、頑張れない自分に疑問を持ったり、今までみたいに無理して頑張ることはやめようと思う。

さぼったり怠けたり自分に甘えたりすることは、以前自分が望んだ厳しい人生ではあり得ないことだった。そんなことで成し遂げられるものなどに価値などはないと思っていた。
そう考えると、これからは真逆の生き方をしようとしているのだ。なんだか、心がザワザワしてくる。

だけど、人生なんかそう簡単に変わらないよね。
ゆっくり自分と向き合っていこう。

一人を楽しむ方法、ご存知の方は教えてください!




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