伝播する思い
数時間前までより随分と軽くなった身体で線路沿いの道をまっすぐ歩いて帰宅する。
お昼ご飯は何にしようかな。
陽光が暖かい。
身体の状態が良くなると、自分が感知する世界は驚くほど平和なものになる。
とても基本的な話ではあるけれど、その影響は驚異的だ。
そして、私も生身の人間なんだなと実感する。
一人一人のことを思い浮かべながら選んだ今読んで欲しい本とテキストにお手紙を添えて、ポストに持っていく。
数か月に1度訪れるこの営みは、後で振り返ると、誰かの人生が変わっていく重要な一地点になっていることがしばしばある。
なぜか送りたくなるタイミングというのがある。
それが普段から頻繁に連絡を取っている子であったとしても。
先生と生徒という関係性を超えた、一人の人同士としての交流の時間を大切に保ち続けることで、不思議な縁が繋がっていく。
それは、受験の合格や卒業といった形式的な区切りを無視して続いていく。
ポストに吸い込まれていくのを見届ける。
午前9時30分。
届くのは明日かな。
卒業後何年経ってもおしゃべりしに来てくれたり、嬉しい報告をしに会いに来てくれたりする子達が絶えないという現象は、いつの間にか私の誇りの一部を形成してくれるようになったのかもしれないな、とぼんやり思う。
毎年、社会の中に素晴らしい力をそなえた心から信用できる人が増えていく。
その事実は、日々目の前で色んなことが起こっても、潜っていけばちゃんとそこにある安心感を年々揺るぎないものにしてくれていると思う。
とても助けられている。
「先生の力量にお任せするよ」
「どういうことよ」
底力がついて視野も広くなり、楽しく勉強できるようになった子と今日もお菓子談議をする。
きっと数年後にこの時間を懐かしみながら、一緒に笑うんだろう。
今から楽しみになる。
本当に貴重な瞬間を共有させてもらっているということ。
肉体的に疲れている時は特に、なかなか素直にそんな風には思えないんだけど、永遠に繰り返されるかに思われる出会いは実は奇跡的なものだ。
そういう感謝を忘れずにいられたら、目の前の景色は簡単に変わる。
悲しいな、ショックだなと思うようなことがあったとしても、一瞬で戻ってくることができる。
それはシンプルだけど継続することには困難が伴う、でも本当に大切な技術なんだと思う。
そろそろお米買わなきゃ、と思っていたタイミングで届く段ボール。
「ありがとう」と母にメッセージを送る。
なぜこのタイミングで、と普通に考えたら不思議なことではあるけれど、半ば必然のような気がしてしまうのは、昔からこういうことが当たり前のように繰り返されてきたからなんだろう。
必然的な力が働いているようでいて、どこか自然現象的でもある。
誰かの人生が楽しく幸せなものであるように願うこと。
その祈りには絶大なパワーがある。
そしてそれは循環しながら、より強力なものへと変容していくのかもしれない。