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日々、学習支援の現場で感じたこと、経験したことなどを書いています。一部有料にしています。
総合型選抜を含む推薦系の入試に関心がある方に向けて、日々の指導をもとに、まとめ記事を書いています。
顔を上げて窓の外に視線を移すと、御所を囲む木々が揺れている。 今にも葉擦れの音が聞こえてきそうなステージ。 本番中に「綺麗だな」と感じる瞬間はこれまでもあったけど、この背景に同化するような演奏がしたい、と初めて思った。 200年前に生きた作曲家と対話し、同時に自分の内面と向き合い続けてきた時間が、これまでにない余裕のようなものを生んでくれたのだと思う。 他の出演者の方が最後まで気持ち良く演奏できますように、と一人一人応援する。 時々やってくる緊張の体感を、じっくり味
一駅先にあるタリーズまで歩く。 暗くなるのが早くなった。 2階の窓に面した席からは駅前の広場が見渡せる。 広場にある池の水面に照明の光が所々反射してゆらゆら揺れている。 甘いロイヤルミルクティーにシナモンパウダーをかけて席につくと、ほっとして色々と切り替わる。 明るい時間は徐々に減ってきているのに、最近一日が長いと感じるのはなんでだろう。 完全に個人で仕事をするようになってから、1か月という期間にこれまでの3か月分くらいの出来事や、自分の意識の変化が起こるようにな
門を通り抜けると大きな百日紅の木が1本立っている。 木の下に入ってぐるりと一周してみる。 ぶつかりそうでぶつからない高さにある枝を見上げると、もうピンクより緑色の割合の方が多くなってきていて、 今年の夏もちゃんと終わるんだなと思う。 次に来る時はきっと長袖だ。 9月はドイツに出発する生徒さんの日本での最後のレッスンが2人続いた。 不思議なご縁で絶妙なタイミングで授業を開始して、2人とも短期間だったけど、 ゼロからある程度コミュニケーションには困らないレベルのドイ
サラサラと葉擦れの音が聞こえてくる。 今日はとても空がきれい。 青空を背景にして揺れている葉っぱ達をしばらく見つめる。 暑さが少しだけマイルドになり、日傘があれば昼間に外を歩くのも平気になってきた。 電車に乗るかどうか一瞬迷ったけれど、一駅分歩くことにする。 ちょっと別の道に入ってみて、また戻ってみる。 歩いている時間は発見が多い。 特に、歩いている最中にも頭の中で存在感を放ち続ける「実際にはその場にはないもの」に気付く時間は、結構貴重なのかなと思う。 一瞬で
手水舎に並んでいる可愛いイノシシ達。 今回は日帰りするつもりだったけれど、前日に何となく今すぐ行った方が良い気がして、御所の真横にあるホテルを急遽予約した。 丸太町の駅から蛤御門を目指して真っ直ぐ歩いていく。 昨年までは「やっぱり夏の京都は暑いな」と思っていたのに、何だか今年は東京の方が暑い気がする。 こうやって外を歩きながら、「暑い」という気持ち以外の対象に自然と意識が向くのはありがたいなと思う。 土地に残っている記憶と懐かしさ。 これは地元に戻っても強くは感じ
懐かしい景色が徐々に知らない景色に変わっていって、また見慣れた景色が目の前に現れる。 寝台列車で地元から東京に戻る。 「眠れないんじゃないか」と家族には心配されたけど、何となく今回の帰りは寝台列車に乗りたかった。 翌日は朝から仕事が結構入っていたから、体力的には飛行機が正解なのだろうけど、たまにはこういう時間も楽しい。 駅のコンビニで買った空海についての本のページをめくりながらウトウトする。 飛行機だと1時間半ほどで行き来できるから、とても便利でありがたいけど、たま
確か「チビちゃん」って呼ばれていた気がする。 そんなことを思い出し、「チビちゃん」と声をかけてみる。 人馴れしている猫ちゃんだな、とずっと思っていた。 名前を呼びかけてみると、こちらの顔をじっと見つめながらゆっくり近づいてくる。 おぉ、「チビちゃん」で合ってたんだ。 名前を呼ばれるって、やっぱり嬉しいんだね。 これまでよりダイナミックに人生が動いていく状況に身を置くようになったから、 頭の中の整理も兼ねて、この1か月の間にできたことを1つ1つ書き出す時間をとって
雨が降り始めたみたい。 窓に面した席でチャイラテをグルグルかき混ぜる。 ピリッとしたスパイスの香りで意識が少しクリアになってくる。 ガラスを一枚隔てた向こう側には傘をさしている人々が行き来している。 座れて良かった。 誰かがパソコンで作業する音が響いている空間。 日曜日の午後だから、ガヤガヤしているだろうなと思っていたけれど、満席の店内は予想以上に静かで、穏やかな時間が流れている。 家を出る前にとりあえずカバンに入れておいたレターセットを取り出して、便箋を選ぶ。
不安で眠れなかった1か月前の自分に言ってあげたい。 1か月後、あなたは全く想像できなかった沢山の出会いの中にいるよ。 その選択は何も間違ってないよ。 世界が切り替わる瞬間というのは、本当にあるんだなと改めて思う。 様々な形で届いていたメッセージ。 その中には、一見ネガティブに思えて不満をぶちまけたくなりそうなものもあったけれど、 そういうものの存在こそが、最後に思いっきり背中を押してくれた。 だから、良い悪いという判断は短期的には意味がない。 本当は良いも悪い
きっともう使うことはないだろうな、というテキスト類をダンボールに詰めていく。 目の前にある書籍に対しても、それを使っていた当時の一人一人の生徒さん達に対しても「ありがとう」の気持ちを込めて。 定期的に整理しないと収納スペースが溢れてしまうので、時々チャリボンを利用して本を寄付するようにしている。 並行して、長い間使わせてもらった椅子を粗大ごみに出す。 こうやって物理的にスペースを作っていく。 そうすると今度は何か新しいものが入ってくる。 それは「物」ではない場合も
荷物を預けて再び駅に向かう。 今にも雨が降り出しそうな空だけど、ギリギリ耐えてくれそうでありがたい。 どこに行っても声をかければ会ってくれる人がいるということ。 普段全く異なる環境で生活していて、立場も見ている世界も全然違うように思えたとしても、 姿を見つけて「久しぶりー」と手を振ると安心感がこみ上げてくる。 彼女の旧姓と私の名字は同じ。 だから、高校ではいつも前後の席でテストを受けていた。 性格は全然違ったけど、なぜか仲良くなった。 そして、卒業後は二人とも
道に散らばった花びらを追いかけていく。 今年も「桜が綺麗ですね」と書ける時期になったと思っていたら、あっという間に季節はまた新しい段階へと進んでいっている。 1か月はいつも一瞬で過ぎていく。 特にこの1か月は、自分自身の状況も心の中にあるものも驚くほど変化していった。 今まで通りの生活を続けることはないのかもしれないな。 何となくそんな感覚はあったのだけど、何かを強引に変えようという気もなくて、ちょっとのんびりしようくらいの気持ちで過ごしていた。 それは、自分自身
ニットのワンピース1枚で出歩ける季節がまたやってきた。 「入学式の日に寄れそうだったら寄ってね」と駅の改札で手を振る。 親御さん達は、きっとこういう寂しさと感慨を覚える瞬間がもっと沢山あるんだろう。 私にとって毎年訪れる一つの区切りであり、もう慣れていることではある。 それでもやはり今年は特別だった。 自分自身にとって1つの転機だった7年前。 出会った時には、こんなに長い間一緒に過ごすことになるなんて想像していなかった。 そして、本当にありがたいことに今後もご縁
たぶんこっちの方向に歩いていけば着くんじゃないかな。 帰りの新幹線の時間を遅めにして、ホテルに荷物を預かってもらう。 ピンクのチェック柄のストールをグルグル巻きながら、外に出る。 まだちょっと肌寒いけど、気持ち良い天気でほっとする。 教えてきた子供たち全員の進路が無事に決まって一段落。 3月は空白の時間を作ることを優先することにした。 先月までのスケジュールとのあまりのギャップに慣れなくて、何だか落ち着かないなと思う時もある。 求めていた時間がようやくやってきた
「あちらの角の時計の所で、押して帰ってください」 手渡された白い袋を持って「あちらの角」の方向に歩いていくと、確かに時計がある。 ええと、この袋に押してみるといいよってことなのかな。 なんだか面白いコミュニケーションだなとぼんやり思いながら、絵柄も向きも確認せずに、そこにあったスタンプをとりあえず押してみる。 わぁ、きれい。 インクが服やカバンに付かないように気を付けて、袋を持ったまま建物の扉を開ける。 古くなってスムーズには動かない扉。 最後までは閉まらなくな
久しぶりなのに、よく分かるねぇ。 朝から飛びついてくる姿が本当にかわいい。 一方で、前回会った時よりも少しだけゆっくりになっている動きが気になって、つい目で追ってしまう。 その変化はほんの小さなものではあるのだろうけれど、確実に存在する。 やっぱり人間とは時間の流れ方が違うんだろう。 全く別の世界を生きている存在が「部屋に入りたいからドア開けて」と訴えてくるのは、ちょっと面白い。 「また遊ぼうね」と声をかける。 「また」が来ることにまだ疑問を感じることはない。