おめでとうの季節
ニットのワンピース1枚で出歩ける季節がまたやってきた。
「入学式の日に寄れそうだったら寄ってね」と駅の改札で手を振る。
親御さん達は、きっとこういう寂しさと感慨を覚える瞬間がもっと沢山あるんだろう。
私にとって毎年訪れる一つの区切りであり、もう慣れていることではある。
それでもやはり今年は特別だった。
自分自身にとって1つの転機だった7年前。
出会った時には、こんなに長い間一緒に過ごすことになるなんて想像していなかった。
そして、本当にありがたいことに今後もご縁は今までとは別の形になって続いていく。
だから「寂しい」という表現はちょっと違うのかもしれない。
全て無事に終わったことへの達成感と、それぞれの成長を見届けることができた喜びと。
そして、自分の手を離れていくことへの寂しさもやっぱりあるのかな。
1~2年前くらいのことだったか、色々な人生の選択肢がある中で心が揺れていた時期に、
この代の子達を全員それぞれにとって最も楽しく過ごせて成長できる次の環境に送り届けるまでは頑張ろう、と心に決めた。
その日のことはよく覚えている。
その決断によって個人的に捨てざるを得なかったものも結構あったけれど、決めた後に世界は一気にクリアになった。
きっとこれが正解なんだなと理解した。
集中できる環境が自然と整っていき、応援やサポートが様々な形で届くようになった。
あんまり悩むこともなくなって、気付けば毎日楽しく誰かと笑っていて、
いつかこういう世界に生きたいなと思っていた「感謝が循環する世界」の中にいつの間にか自分自身が立っていた。
そうやって沢山のものをいただいてきた時間は宝物だと思う。
加えて、この数か月は「ご褒美イベント」だなと感じるような出来事も続いていた。
だから余計に少し不安になって、「4月があんまり来てほしくないな」という感情が顔を出すことも時々あり。
この種の感情は実際に4月に入っても完全にゼロになったわけではない。
ただ、時間は大きな一区切りの線を越えて確実に進んでいっている。
後戻りはできない。
どこから沸いてきたの?と不思議になるような不安や焦りのようなものに振り回されることが時々あったとしても、
流れに上手く乗ることをそれらによって妨害されないようにだけ気を付けて、しばらくゆっくり過ごしていけたら良いかな。
ガーベラの花束を飾った花瓶の水替えをする。
今日も天気が良くて暖かく、それだけでほっとする。
お散歩がてらお昼ご飯を買いに行ってこよう。
帰ったらオーストリアの記事を読んで、その後は久しぶりにショパンを弾いておこう。
日々の生活の中で生まれてくる一つ一つの選択をできる限り丁寧に行って、少しでも思い浮かんだことは行動に移してみて、納得して決めたことに関しては振り返らない。
そうやっていれば、後ろから支えてくれる流れは起こってくる。
それは幸運なことであり必然でもあるんだろうと改めて思う。