願いの向こう側へ
腕時計と携帯の通知をチラチラと確認する。ホームページ上で結果が発表されているはずの時間を過ぎている。
「先生と一緒に見ようかな」とか言っていたから、確認せずに普段通り来るのだろうか。
窓を開けると、冷たい空気が入ってくる。外はもう普通に寒い。青空が広がっていて、時折、葉っぱが擦れ合う音が響きわたる。その度に気持ちがクリアになっていく。
なんだか平和だな、と思いつつ、その一方で、普段よりソワソワしている自分を自覚する。
こういう時間は何十回、何百回と経験しても慣れない。特に、自分が長期で全面的に関わってきたものに関しては。
「本当に見ずに来たの?」と聞くと、「家出る時に、速達で届いていました」と白い封筒を渡された。未開封の封筒の厚みに少しホッとする。
念のためハサミで丁寧に封を切って、ゆっくり中身を覗いて、さらに力が抜ける。「あー良かったねー」と間抜けな声が出る。
今年も早期の入試を受験している子達が、着々と合格をもらい始めている。そのほっとした笑顔を見ることで、1つ1つ肩の荷が下りていくのを感じる。
必要以上に背負い込まないように気を付けてはいても、やっぱり幸せになる人が一番多い結果であってほしいと望むし、その望みは自分が意識している以上に強かったんだなと気付く。
春頃に改めて決めていたことがあった。今年は深刻になりすぎず、気長に、楽天的に寄り添おう。
それは手を抜くこととはまた全然違った性質のもので、簡単なことではなかった。
経験が多くなればなるほど、上手くいく道筋ややり方が見えれば見えるほど、そこからのズレや乖離が際立って見えてしまう。「できていない」ことが目につく。焦る。
ただ、そういう時にあえて目を瞑り、全体のバランスを考慮した上で、その子の一番良い所が発揮できて、ちゃんと伝わるような形になっている、という方向性を最優先する。それは、本人が持っている力を信じることがベースとなる。
緻密な準備はできる限り怠らないでいながら、不完全な存在を信じるということ。結局のところそれに尽きるのかもしれないな、と思う。
そして、それはきっと不完全な自分自身を認めてあげることにもつながっているんだろう。
実は発表時間すぐに親と確認してたんですよね。
えーすぐに連絡してくれたらいいのに!
こっちの方がなんか面白いと思って。
正直に言うと、楽しかった時間が少し名残惜しくすらあるなぁ、なんて話しながら、これからの幸せと活躍を心の底から願う。
あっという間に過ぎていった期間だったけれど、今年は特にイレギュラーなことが多々あった。
その中で色々な可能性を考えながら種を蒔き続け、確実に育てていった経験が、どうか今後の人生を支えてくれますように。