幸運であり必然であるもの
雷鳴が響き渡り、土砂降りの雨が青もみじを打つ。
扉も襖も開け放たれたままの空間は、逆に静けさが際立っている。
蚊取り線香と墨の香りが仄かに漂う。
Googleマップの履歴で3年前にも訪れた場所として表示されていた。
時間の感覚がよく分からなくなってくるのは、雷鳴と雨音とそこに微かに混ざる扇風機の音のせいなのかもしれない。
手を動かすことへの集中と没頭の度合いが徐々に高まっていく。
人間のバイオリズムの影響なのか、変化していく世の中の流れへの反応なのか、相談事が増えるタイミングというのは定期的にあるように思う。
そして相談事の内容もその時々で大体似通ったものになる。
迷うことや悩むこと、心配や不安になることは誰にだってあることで、もちろん自分自身もそう。それは自然現象のようなものだ。
そして、誰かに話すことで考えを整理できたり、それをきっかけに自分なりに考えて動いていけるのなら、その時間はきっとお互いにとって有意義なものになる。
私は普段関わる子供達とのやり取りの中で、一見授業に無関係な何気ない話を聞く時間をとても大切にしている。
その中で自分自身で答えを見つけたり、ふと思いついたことをヒントにして前向きに行動していく姿を目にすると安心する。
それは、その子が本来持っている力に触れることができた貴重な瞬間でもある。
一方で、周囲の大人の方が答えを他者に求めてしまったり、既存の価値観のみを反映した物差しで子供の行動をはかろうとしたりする場合が多いのかもしれない。
細かな部分まで「正しいやり方」を求めがちなのも大人の方が多い。
そういう姿勢の根底にある不安。それは、理解できるものも多い。
ただ、その根底の不安が取り除かれない限り、仮に目の前の1つの現象を力づくで解決できたとしても、また別のテーマで同じような問題が起こる。一層複雑な様相を帯びて。
そのことに気付いて、心から認めることができるまで、本当に終わりがない。
一人ひとりの中に必ずその人にとっての答えはあって、ある時点では見えていなくても、きっとベストなタイミングで表れてくるようにはなっている。
それを上手くキャッチできるためには、自分の心の動きを少しだけ丁寧に観て、目の前の人や物事を大切にし、毎日を楽しむことが一番なんだと思う。
それは、自分自身への信頼を回復していくことにつながる。
私自身は、年齢を問わず沢山の方のお話を聞く機会が結構多い方なので、自分のことや周囲の他者のことを信頼できているかということを、自然と割と頻繁にチェックするようになった。
鮮やかな青もみじの向こう側に広がる空を見て美しいと思えているか。
可愛いフクロウの形をしたお干菓子が口の中で溶けていくのを味わえているか。
全工程が終わって帰ろうとした時には雷と雨が止んでいることを、必然的な幸運だと感じられるか。
毎日自分のペースでクリアな状態を保っていけますように。