言葉選び
昨日、大学の時にお世話になっていた習い事の先生に久しぶりにメールを送った。
お世話になっていた当時、私にとって音楽は長く続けてきた趣味という位置づけであり、日々の生活の中で優先していたことは、勉強や研究の時間を確保することだった。最初から先生にはそれを伝えていたこともあって、音楽的なことだけでなく、いやそれ以上に、精神的な部分、姿勢面について教えていただくことが多かった。
今以上に偏った世界の中で自信なく生きていた私に、本当に親切に、熱心に沢山のことを教えてくださった方であり、
厳しい言葉が飛んできて落ち込んだことも多々あったけれど、大学での勉強を優先しつつ、時間がかかっても大会に出続けようとして、いつもあたふたしていた私を、誰よりも応援してくださった方でもあった。
分野は違えど、自分自身が「先生」と呼ばれる仕事をするようになってから、こういう風になりたいなとお手本にしている先生の一人。
レッスンは、生徒に指導しているという感じではなくて、あくまで一人の個人として対等に接してくださっていることが伝わる時間だった。何より私の意志が尊重されていると感じられる時間。
帰り道に、自分の毎日を振り返って反省したり、自分の至らなさにイライラしたりしながら、それでも不思議と湧き上がるやる気を毎回もらっていた。
そんなことを思い出しながら、また教えてもらいたいなという思いが強くなってきて。新幹線で片道2時間ちょっと。今の仕事の状況なら、1~2か月に1回くらいなら通えなくはない。
勇気を出して、連絡してみる。予想よりも早く返ってきたお返事を見て、心が震えた。
東京で暮らすようになったこの9年間で2回ほどしか会っていないのに、本当に、どうしてこんなに自分の思いを分かってもらえるんだろうかという純粋な驚き。
そして、自分が書いたほんのわずかな言葉で、多くのことが伝わる相手がいることのありがたさで、しばらく動けなくなった。
「先生」と呼ばれる仕事をしていく中で、自分が発する一言の大きさを痛感し、その難しさを考えさせられる時がある。
普段どんなに気をつけていても、生徒とやり取りをしているLINEの一言に、その時の自分の感情が良くはない影響を及ぼしたんじゃないかと思うことがあったり、応援したい思いから厳しいことを言わなきゃいけないタイミングを推し量ったり。
メールやLINE上の言葉なんて、誤解や解釈の余地をいくらでも含んでいるものではあるけれど、それでも、相手の心にストレートに響く言葉を軽やかに選んでいける人柄や姿勢に、改めて素直な尊敬の気持ちを抱く。
何年経っても、まだまだ学ぶことが沢山ある。私も、縁がある大切な人たちへの言葉を、自然と相手の心に届くように選んでいける人でありたい。
今月から新たに増えることになった移動時間を大切に、この定期的な移動が自分の世界に何をもたらしてくれるか、とてもワクワクしています。