未来から届くプレゼント
手水舎に並んでいる可愛いイノシシ達。
今回は日帰りするつもりだったけれど、前日に何となく今すぐ行った方が良い気がして、御所の真横にあるホテルを急遽予約した。
丸太町の駅から蛤御門を目指して真っ直ぐ歩いていく。
昨年までは「やっぱり夏の京都は暑いな」と思っていたのに、何だか今年は東京の方が暑い気がする。
こうやって外を歩きながら、「暑い」という気持ち以外の対象に自然と意識が向くのはありがたいなと思う。
土地に残っている記憶と懐かしさ。
これは地元に戻っても強くは感じないので、京都特有のものなのかもしれないなとぼんやり思う。
「何であんな感じだったんだろうね」とつい思いそうになる気持ちを認めつつも、
その時はその時で精一杯生きていた自分に対しても感謝する。
確か神社があって、その先にホテルがあるはず。
京都には定期的に来るので、御所をお散歩することはよくある。
そもそも昔この近所に住んでいた時期もあるから、目の前を通ったことなんて何度もあるはずなんだけど気付かなかった。
タイミングが来たらちゃんと見えるようになる。
そんなものなのかもしれない。
今年もまたショパンのコンチェルトを演奏できるみたい。
視界が開けるというのは、こういう感じの状態を言うのだろう。
毎年演奏していたコンサートが今年は行われない予定だと聞いていたので、しばらくは色々な曲に触れながら次の音楽の方向性を考えようと思っていた。
そんな年も必要なんだろうと思いながら、またいくつかアレンジを書き始めてみたりはしたけれど、どうもピンと来ないまま止まってしまう。
学習支援やカウンセリングの仕事の方で沢山のお声がけをいただけるようになったこともあって、今はそちらに集中した方がいいよということなのかなとも思っていた。
7月から切り替わる。
なんか分からないけれどずっとそんな気がしていたから、春から6月末までは休憩の時間をできるだけ多くとるようにしていた。
実際7月になってみるとポンポンと新しい授業の依頼が入り続け、それ以外にも様々な形での「再会」が増えていく。
私は何かが見えるわけではないけれど、きっとこうやって物事が動き出すタイミングが近々来ることを感じ取っていたから、6月まではペースを落としていても特別不安にならなかったのだろうなと思う。
「そろそろ来るから大丈夫」
連続した線の上を進みながら、時々先の方からこちらの方に向かってくる矢印をキャッチする。
理屈で考えてばかりいると失われていく感覚。
必要なことは必要な時にちゃんと起こる、ということに納得して生きていると、色々なことが一気に楽になる。
そして、あったらいいなと思っていたものやチャンスは、何もしなくても勝手に向こうからやって来るのが普通になるのは、ちょっと不思議で面白い現象かもしれない。