他人を応援できる幸せ
無理をしながら、ストレスをためない。
センター試験まで1週間を切り。教える側にとってどんなに毎年の繰り返しであっても、毎年新鮮なドキドキというか、何らかの高揚感がある時期です。忙しさ故に、平常時と大差ない、割と冷静な気持ちで過ごしていた年もあり、「慣れなのかな」と思ったりもしていたけれど、意外とそんなこともなかった。
このドキドキ感をまた今年味わえていることは、幸せなことなのだと思います。
そうした感覚の変化は、それまでの期間の自分の思いであったり、かけてきた労力だったり、仕事のスタンスだったり、その時々の色んな要素の変化の反映なんだと思う。バロメーター的な。
ただ、いかんせん、1月2月は疲れの蓄積を回避することは至難の業。そこのバランス感覚は非常に難しい。
自分自身が当事者であるときは、ある程度周りから許容してもらえることも多く、チャレンジに集中できたと思うのだけど、10年以上が経ち、立場も変わればそんな訳にはいかなくなる。
いくら好きなこと、意義のあることをやっていても、過度に忙しい生活が続き、当面の予定の中で現実的な休みが取れなくなってくると、イライラをコントロールするのが難しくなったり、口調がややきつくなってしまったり、他人に対するケアが疎かになっていたりする瞬間がある。
世の中はちょっとした罪悪感で溢れていて、こういう状態の時こそ、誰も気にかけないようなちっちゃなことを気にしすぎてしまったり、先回りして自分の行動を正当化したくなってしまったりもする。思考がごちゃごちゃしすぎるから、そこは自分自身との間で話し合って、ストレスをためない努力が必要になる。
そんな自分自身の気持ちの細かな状態をケアしながら、他人もケアする。この二つは表裏一体なんだろうなと思う。そのバランスが崩れると、他人のことを自分のことのように応援することは、多分本当の意味では、難しくなる。
大学を卒業してから(それももう10年くらい前の話だけど)、色んなことを考える機会も経験も嫌というほどあった。点数を取れたからって、今の世の中でどうってことはないし、受験の結果がどうこうで何か人生が変わるわけでは実際はない。と思う。そこはまた全然違う次元の話。
それでもやっぱり頑張ってほしいなと強く強く思う。ずっと身近で応援してきた生徒がスカッとする気持ちの良い結果を出して、次のチャレンジにつなげてくれることを願わずにはいられない。
そして、30歳を過ぎて、家族でもなんでもない他人の人生のことで、こんな心境を経験させてくれる出会いがあったことは、やっぱり、ラッキーで幸せなことだなぁと感じています。