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相手の目線から見上げてみる世界

半年に1回ほど、何かしら試験やイベントの目標を作って、1つのことを集中して勉強したり、練習したりする時間を作るようにしています。

普段、ずっと教える側の立場で仕事をしていて、「教える」という行為に特有なスキルだったり、お話する内容だったり、成果が出るまでの一連のプロセスみたいなものは、何年もやっていれば自然と身についていく。

どんなことでもそうなのかもしれませんが、そうやって自然に身についたものは、とても価値のある大切なものであり、継続的に成果が出ているのであれば、普段の自分の行動を肯定してくれるものでもあります。

一方で、ちょっと危ない、というか気をつけておかないといけない要素も含んでいて、

教えてもらう立場、受験生の立場に立って自分のやり方を改善していく機会が、減ってしまう、消えてしまうことがある、ということです。


自分では気付きにくいものだというのは仕方ないかもしれませんが、時々同じような仕事をしている方を参考にさせてもらったり、アドバイスをいただいたりしていても、それでも特に見落としてしまうことが多いものは、

リアルな気持ちの揺れの中での自分自身の持っていき方だったり、他にやらないといけないことがある中で全く異なることに時間を作ってギリギリでも満足のいく形にする方法だったり、昔とは利用できるものが(良い意味でも悪い意味でも)多様になった今の環境での取り組み方だったり、します。


私は、特に教えてもらわなくても一人で情報収集したり、勉強したり、練習したりすればいいかな、と思うものであっても、その分野の専門家に聞く、修正してもらう、という時間を必ず挟むようにしていて。

そうやって関わる別の分野の先生方から得られるものは、たとえ自分が普段教えている内容とは違っていても、ものすごく、大きい。

スキル面だけじゃなくて、コミュニケーションだったり、考え方だったり。他人を応援する形の中で、どこまでこだわるか、何を大切にするか。


また、ある時点で実際にやってきたことを外に出して、一定の基準で測られる経験も(それがずっとだとキツイしあまり意味を感じないけど)、たまにであれば、面白い発見も沢山あります。何より、普段接している子供たちの気持ちが具体的な実感をもって分かる、というのが1番なのかもしれない。

ちょうど先日、そういう経験をしたので、今回の振り返りとして書いていきたいと思います。

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