弱さも不完全さもひっくるめて
荷物を預けて再び駅に向かう。
今にも雨が降り出しそうな空だけど、ギリギリ耐えてくれそうでありがたい。
どこに行っても声をかければ会ってくれる人がいるということ。
普段全く異なる環境で生活していて、立場も見ている世界も全然違うように思えたとしても、
姿を見つけて「久しぶりー」と手を振ると安心感がこみ上げてくる。
彼女の旧姓と私の名字は同じ。
だから、高校ではいつも前後の席でテストを受けていた。
性格は全然違ったけど、なぜか仲良くなった。
そして、卒業後は二人とも京都で学生生活を送ることに。
彼女は早くに結婚し、私が東京に引っ越してからは会わなくなった期間も長かったけど、
お互いに根本が全く変わらないからか、コミュニケーションに何の違和感もない。
ほぼ満席なのに静かな時間が流れる町家カフェ。
優しい味がする季節野菜のせいろごはん。
変に気を遣うことなく声をかけてみて良かった、といつも思う。
「また連絡するね」と手を振って、歩き出す。
鴨川沿いを真っすぐ歩きながら、青紅葉が美しくて立ち止まる。
降りそうで降らない、雨の気配が漂う日の青紅葉。
桜や紅葉の季節よりも、私はこの時期の京都が好きだ。
さて、ムソルグスキーの時間。
小学生の頃に出会った『はげ山の一夜』。
こんなにもかっこいいクラシックの曲があるんだと感動して、周囲には止められたけどコンクールで弾いた思い出の曲。
25年ぶりでも指が覚えている。
記憶ってたぶん身体の中に蓄積されていくものなんだろう。
またちょっとずつアレンジを修正していこう。
その時間がきっと私の精神安定剤になる。
沢山考えて今がベストのタイミングだと判断して自分で決めたことであっても、やっぱり不安だよね。怖いよね。そんなの当たり前だよね。
そうやって声をかけてみる。自分自身に対して。
ある程度予測可能な1年のサイクルから飛び出してみるというのは、頭で想像している以上に心身にとっては負担がかかるのだろう。
最近の私は突発的な行動が多くて、ちょっと変だ。
ただ、過去を振り返ってみると、不安と一緒に飛び出してみる時というのは、人との出会いも自分のステージも大きく変わるタイミングだった。
だから最終的にはきっと大丈夫なんだろうけど、まぁ怖いものは怖い。
そして、待てないことが増える。
待てる、というのは関わっている他者のことを信じ、その前提として自分のことを信じているからこそできることなんだと思う。
そんな時は焦って結論を出すことを逆に他者に求められたりもする。
「いや、ちょっと待って」と誰かに言いたくなった時に気付く。
あぁ、これは自分に言いたいことなのかもしれないと。
離れていてもなぜか縁が切れない友人達。
「先生と話したい」と連絡してきてくれる何人もの生徒さん達。
ドイツから届く美しいポストカード。
沢山のものを与えてもらっていることを忘れないように。