心のまにまに
懐かしい景色が徐々に知らない景色に変わっていって、また見慣れた景色が目の前に現れる。
寝台列車で地元から東京に戻る。
「眠れないんじゃないか」と家族には心配されたけど、何となく今回の帰りは寝台列車に乗りたかった。
翌日は朝から仕事が結構入っていたから、体力的には飛行機が正解なのだろうけど、たまにはこういう時間も楽しい。
駅のコンビニで買った空海についての本のページをめくりながらウトウトする。
飛行機だと1時間半ほどで行き来できるから、とても便利でありがたいけど、たまに不思議な気分になる。
12時間かけてゆっくり帰ると、やっぱりちゃんと遠いんだなと確認できる。
それでも確実に到着する。
一晩かけて進み続ければ必ず。
この前、乗ったのはいつだったっけ。
外が明るくなってきて身体を起こすと、海が見える。
降りる準備をしなきゃと思いつつボーっと窓の外を眺める。
横浜駅が近づくといつものアナウンスが鳴る。
新しい1日が始まる。
7月からはまた何かが動き出しそうな予兆があったので、その前に少し帰省することに決めた。
お墓参りをして、はなちゃんとも遊びたい。
「大変だからもう作らなくていいよ」と言っても沢山の料理を準備してくれる母。
私が帰っている数日間は、仕事が終わるとすぐに帰ってくる父。
そういうありがたさを、これまで私は理解していなかったのかもしれない。
高校を卒業して地元を離れ、京都での大学生活の後、東京に引っ越してもう14年。
家族と暮らしていた期間よりも一人暮らしをしている期間の方が長くなった今、何だか私は沢山の勘違いをしていたんじゃないかと気付く。
決断すれば色んなことが勝手に変わり始めることを実感したこの3か月。
不安だろうがなんだろうが物事はどんどん進んでいくことにも少し耐性がついてきた。
沢山の方から声をかけていただけることは本当にありがたく、多くのご縁に支えられて生きていると思う。
この数年、「自分を大切にする」という言葉を耳にする機会は増えた。
ただ、この言葉は誤解されがちだと思う。
「自分を大切にする」決断というのは、本当は生半可なことじゃない。
これまで目を背けてきたものに沢山向き合わないといけないし、恐怖も不安も伴う。
手放すものもいっぱいあるし、年単位のコツコツとした積み重ねが必要な行為だと思う。
それは、「他者のことを考えなくていい」という意味でももちろんない。
自分の周りが皆幸せだからこそ、自分も幸せでいられる。
それが当たり前だと思える心の状態であることが前提だと思う。
その決断が合っているのかどうか確かめるために、一番目に見えて分かりやすい指標は、家族との関係なのかもしれない。
過去にどんなことがあったとしても、どんなに長時間クリアにならない感情を抱えながら生きてきたとしても、
本当は沢山受け取ってきた愛に気付かされてしまう。
まだまだ途中ではあるけれど、その過程を楽しみたい。