経験を見守るということ
この話と雰囲気をどこに着地させようかな、とあれこれ思考を巡らせながら、割と冷静に話していたつもりだった。実際にはそんな頭の中とは裏腹に、私の方が先に泣いていたかもしれない。
誰かの前で感情的になることはめったにない。
そんなことは今までで初めてのことだった。
今年はもう難しいことは分かっているけれど、できるなら最後は先生に見てもらいたい。
そんな連絡があったと会社から伝えられて、即答は難しかった。
期限が迫っている仕事が沢山あり、秋に行われる推薦関係の入試の直前期で割とプレッシャーもかかっていた時期だった。夏からずっと生徒の受験が続いていたこともあり、このまま気付いたら3月、という毎年の繰り返しを思い浮かべると、自分の中でモヤっとした思いが湧き上がるのを否定できず。
今回は断ろうかな、という思いが一瞬脳裏を掠めた。
入試方式が多様化してきたことで、教える側にとっての受験期間は年々長引いている。特に私は、特殊なものをお願いされることがチラホラあるので、
自分が直接関わるかどうかは最初の段階で慎重に検討して、断れるものは断る。
ただ、元気にしているか、気になっていた。
縁というのは不思議なものだな、と最近本当によく思う。
関わりを通じて、自分自身の新しい一面を発見する。
他人を救うことなんてできないことも、結局は本人が自分で気付いて納得して変わっていかないといけないということも、その言葉以上に実感を伴った経験を通じて理解してきたつもりだ。
だから、依存させない、自立を促す、ということは、徹底して注意している。簡単ではない時もあるけども。
表面的には分からない、様々な事情を抱えながら勉強している子たちがいる。その事情自体をどうにかすることはできなくても、ちょっとずつ表情が変わり、自分自身の問題として捉えて、それぞれの形で努力しながら、前を向いていく過程を見守る。
信じて見守ることはすごく難しくて、こらえきれなくなって手を貸しすぎてしまう時もある。その度に、自分とも相手ともしっかり対話する。
ほんの3か月前には見られなかった自然な笑顔を目にした時、あの時、断らなくて良かったと思った。
ひとまずお疲れ様でした。1年前ともまたちょっと違った形をした気持ちで迎えた春。根本は変わらないのかもしれないけど。
今年もまた、柔らかい春の日差しを感じられることに、感謝。