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「おそれ」とともに行く。

こんにちは。書作家、プロコーチとして活動している小林磨衣子です。

8月1日で独立してちょうど1年半が経ちました。
振り返りの記事を書こうと思っていたのですが、それよりも、今自分のなかにある「おそれ」のことを書き留めておくことがとても大切な気がして、こんなタイトルで書き始めました。

「『本当』で生きる」ことが、こわい

何がこわいか。
それは、
「『本当』で、生きる」こと。
これは、私が「小林磨衣子」として書作家、プロコーチとして活動していくうえでのテーマとしておいていること。

人が、「本当」の願いにつながって、「本当」の強みをいかして、「本当」の感情を感じながら、「本当」の自分を受け入れ許可を出して、その人だけの道を思い切り生きること。
そんな風に人が「『本当』で生きて」いくことを願い、「コーチング」「書」をやっている。
そして何より、私自身が「『本当』で生きる」ことを大切にしている。
「『本当』で生きる」人生は、いきいき感・喜びに溢れ、自己信頼が高く、葛藤・苦しみも含めて充実感あふれる幸せなものであると知っているから。このことが私自身も周りの人達も最大限輝かせることにつながると知っているから。

独立してから、これまで、そうして生きてきた。
簡単な道のりじゃない。
大きな大きな喜びとともに不安・焦り・おそれも携えながら歩んできた。

でも、今、これまでにない「おそれ」を感じている。

これまでとは違う表現のフェーズに行きたがっている自分に気づいている。
私の中に、確かに、爆発的なエネルギーがあるのを感じている。
それを、まっすぐに、生々しいままに表現してしまいたい私がいる。
そして私自身を強く信じている私がいる。

でも、
そのとてつもないエネルギーに身を委ねてしまったら、のめり込んでしまったら自分はどうなってしまうのだろう。
それを思い切り表現してしまったら受け入れられないのではないか。ひとりぼっちになってしまうのではないか。
そんな風にさらけ出したら身近な人たちに嫌な思いをさせるのではないか。
この道に没頭してしまったら食べていけないのではないか。お金はどうするのか。

そんな、たくさんの「おそれ」が渦巻いている。

そして、何より、
その先に、自分の魂が最大限輝くこと、その眩しさにおそれている。
と同時に、それを強く願ってもいる。

(こんな風に書いている私をみて「うぬぼれてる」とか思われるんじゃないかっていうこともおそれてる)

「本当」につながって、過去のパターンを脱するとき

話は過去に戻るのだけど、
私の最初のキャリアは司法書士で、昨年1月まではITベンチャーで法務人事などをしていた。
前職時代にキャリアの悩みで停滞感を感じていたときに学んだコーチングを通して、自分の「本当」を思い出した。

表現することが大好き。思い切り表現したい。
人がそれぞれの「本当」で輝く世界を実現したい。

これを思い出す前までの私は、幼少期の不登校をはじめとするさまざまな経験をきっかけにつくられた
「私なんて」
「私は弱い」「私は正しくない」
という強い思い込みに縛られていたから(縛られていたこと自体も「本当」を思い出すまで気づいていなかった)、
強いあこがれをもちながら
「アーティスト」
なんて言うものは自分から最も縁遠く、絶対になれるわけなんてないものだと思っていた。

でも思い返すと幼い頃から私の近くにはいつも「表現」があった。
書を書けばいちばんいい賞をいただき、先生には「天才が来た」と言われ、
歌を歌えば褒められ独唱に抜擢され、聴いた人は涙してくれた。
そして何より、私自身がアーティストたちの表現にたくさん救われ、心の奥底では強く強く憧れていた。
でもそれに、私自身が思い切り蓋をしていた。見て見ぬふりをしていた。

説明が難しいのだけど、
蓋をしておくために、「私なんて」「私は弱い」「私は正しくない」の思い込みを利用して、「まずは、人の期待に答え、役割を果たすことで『私は弱くない・私は間違ってない』を証明してからでないと『本当』にやりたいことはやってはいけない」という決まりを自分に課し、その一生終わらない証明をするために懸命に走ってきた人生だった感じがする。
(これらのことはすべて、走っていた当時の私は全く気づいていない。そんな自分やそう生きさせた一因である周囲の環境などについて、葛藤を経て今は決して責めてはいない。遠回りしたことでたくさんのリソースを養ってくれた。心から感謝している。)

その証明は必要ないのだと35歳のときにコーチングを通して気づいて、自分は絶対になれないと思っていた「アーティスト」の道を歩きはじめた。
そして今、
本当の『本当』の表現(これはずっと更新され続けていくのだろうけど)に踏み入れたい自分と直面している。

・・・そうね、35歳まで本当に長い間そのパターンの中にいたんだもん。そりゃめっちゃこわいわ。

「おそれ」まみれで行くのも、「『本当』で生きる」だ

でも、私が「『本当』で、生きる」なら、
そこに行かないわけにはいかない。
ていうか、行きたい。行かないことは世界にとって損失だ。

でもこわいよーーー
(すみません、繰り返しw)

取り止めない、独り言のような感じでごめんなさい。
何が言いたいかというと、
まだ正直「覚悟」といえるところまでは来ていない感じがするのだけど、
これらの「おそれ」にまみれながらも、一歩一歩いくぞ、ということ。
これも「『本当』で、生きる」だ。

最後に、昨日、私の「本当」につながって書いた作品を置いておく。
私はこういう表現をもっとしたい。
こわいけど、していく。


今の感情のままに一気に書いたので、読みづらいところも多いと思います。
ここまで読んでくださった方、本当にありがとうございます。うれしいです。

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